2022 日本
監督 樋口真嗣
脚本 庵野秀明
庵野、樋口コンビニよるシン・シリーズ第二弾。
シン・ゴジラ(2016)を高く評価した身としては、否が応にも期待せずにはいられなかった本作なんですが、あえて結論から先に言ってしまうと、シン・ゴジラほどではなかった、というのが正直なところでしょうか。
ウルトラマンという、汲み上げすぎて完全に干上がってしまった古井戸から新たなウルトラマン像を再生するという難事業に正面から取り組み、それなりの成果を上げていることは認めます。
実はウルトラマンというのは侵略SFのカテゴリーに含まれる物語であったのだ、とわかりやすく再認識させた功績は大きかった、と言えるでしょう。
勧善懲悪な図式の中に、ただ巨大なヒーローが立脚するのではなく、ウルトラマン自身も宇宙人であり、自分の生まれた星の制約に縛られている、とした図式は、わかっていたはずなのに盲点だった気がします。
ウルトラマンに地球人を救う義理はないんですよね。
なのになぜ異星人のために身を挺して戦うのか。
そこに知的生命体同士が異種接近遭遇した場合のサンプルケースというか、ある種の特異な事例が展開されているように思います。
いわゆる宇宙時代を描いたSF映画で、80年代に繰り返し思弁された「我々は宇宙人とどうコミニュケーションを取って共生していくべきなのか?」といったテーマを再度掲げているようにも思える。
ウルトラマン、ってそういう物語だったんだよ、と知らしめただけでもシン・ウルトラマンの価値はあった、という気がしますね。
また、庵野のウルトラマンに対する愛がすごくて。
序盤の登場シーンなんて、天孫降臨レベルで神々しかったりしますから。
ただのキグルミのはずが、スーツの質感にまでこだわって艶めかしかったりするんですよね。
スペシウム光線を放つ所作を見てるだけで鳥肌ですよ。
なんで俺は今更ウルトラマンごときで感動してるんだって不思議になるほどの圧倒的存在感。
庵野おなじみの、いかにも日本らしい危機管理のあり方にまつわる政治家や官僚のスノッブな描写もシン・ゴジラを踏襲してて思わずほくそ笑んでしまいますしね。
で、どうにもよろしくないのが、物語の組み立てが理路整然としているのにもかかわらず、意外にドラマが弱い点でしょうか。
長澤まさみがもっと重要な役割を担っててもおかしくない(というか担わなきゃならない)はずなのに、テレビドラマのコメディエンヌみたいな演技をしてることがまずは大きくマイナスでしょうね。
わざわざ主人公(ウルトラマン)とバディを組ませた理由が全く見えてこない。
長澤まさみ演じる浅見隊員を通じて、ウルトラマンは人類をより深く知らなきゃいけないはずなんですよ。
でないとロジックが確かでも、そこに裏付けが見えてこない。
見ていて気持ちが揺さぶられないんですよね。
あと、地球の小さな島国に、他天体から宇宙人やって来すぎ。
宇宙規模で地球へ行くならまずは日本!みたいな感じで、誰か広告打ちまくってるのかよ、って。
完全にオーバーツーリズム状態になってますから。
バルタンでもメフィラスでもなんでもいいんで、一種族の宇宙人だけで最後までお話をひっぱったほうが良かったように思いますね。
冷静に考えるなら、ウルトラマンが来てるだけでも相当に稀有な出来事なわけですから。
宇宙人のキャラ属性がなんか古臭い感じなのも悩ましいところ。
人間臭すぎるんですよね、どいつもこいつも。
まあ、昔のウルトラシリーズは全部そうでしたけど。
あえて寄せたのかも知れませんけどね、昔からのファンのために。
終わってみれば、全体的にどこかレトロなんですよね。
これまでのウルトラマンに欠けていたピースや不十分だった作劇を新たに構築し直した成果は見て取れるんですが、これが令和のシン・ウルトラマンだ、と言えるような新鮮味、斬新さは目立って見えてこない。
大人の目線を意識した、と言う意味で当時のファンに希求するものはあるでしょうけど、シン・ゴジラほど斬新なリブートではなかった気がします。
ただ、こういうのって、このコンビじゃないと多分無理だったろうな、と思うんで、とりあえず「失敗してるわけじゃない」という観点に立って企画が頓挫しなかったこと、ヒットしたことをこっそり喜びたいかな、と。
日本映画で公開前から気になる作品って、少ないですしね。
40代、50代のファンは、見て失望することはないと思います。
亡き円谷英二氏も草葉の陰で「まだやってるのか、ウルトラマン!?」と笑みをこぼしておられるのでは、と。