私がつまみ食いした石ノ森章太郎の主要作、20作品

サイボーグ009
1964年初出

実は子供の頃から長い間、石ノ森章太郎は鬼門でした。
もちろん仮面ライダーやゴレンジャーは当たり前のようにテレビで見て、熱中した世代ではあるんです。
しかし、こと漫画となると、何がおもしろいのか、さっぱり理解できない。
初めて読んだのは仮面ライダーだったか。
内容よりも、そのあまりにも手塚治虫に酷似した絵柄に子供心ながら引いちゃったんですよね。
子供ってのは意外と大人よりもパクリだとかサルマネに敏感なもんですから。
石ノ森章太郎という大看板をパクリ呼ばわりしてしまうクソガキというのも、今から考えれば一発張り倒してやらねばならんな、と思うんですが、出会いが悪ければなかなかその次に踏み込むことは難しいわけで。
放置したまま約30年。
ご本人が亡くなられて幾年を経て、もう一度読み返してみようか、と思ったのは昨今の漫画文化の衰退も影響している、と言っていいのかもしれません。
良い漫画が読みたい、と思う衝動が私を70年代へと駆り立てた。
で、まず手にとったのが、このあまりにも有名なサイボーグ009。
最初に驚かされたのはブラックゴースト団が実は武器商人であった、と言う設定。
てっきり勝手に世界制覇をもくろむ悪の組織だと思っていましたよ、私は。
アニメ大好きだったんですけどね、そこまで詳細な設定は全部忘れちゃってました。
もちろん物語のデティールにまで踏み込めば、曖昧な部分や、なにやら解せない展開もあったりするんですが、当時の時代背景を鑑みると勧善懲悪なヒーローもので、世界的な紛争の政治的暗部にまで踏み込んだプロットは実にリアルだった、と思います。
このお膳立てがあったからこそサイボーグという荒唐無稽な存在も俄然真実味をおびてくる。
ベトナム紛争地域にサーボーグ戦士達が乗り込んだ回なぞ、一体どうするつもりだ、と本当にはらはらしました。
よく取りざたされるサイボーグという異形の存在の悲哀、みたいなものは、漫画からはさほど感じなかったりもするんですが(なんせ9人もいるので)第一部らしきストーリーの最終回、これにはさすがの私も胸うたれるものがありました。
かなり有名なシーンのようですが、まさか009で泣かされるとは夢にも思ってなかった。
このワンシーンの為だけに全巻購入してもよいと思えるほど。
後期はサーボーグ戦士達が様々な不可解な事件にいどむ、ある種オカルトミステリに近い印象を受けるSF連作になっているんですが、これはこれで大人向きな感じで良。
完結しなかったことが残念ではあるんですが、石ノ森章太郎と言う作家の特性と凄みを再認識したシリーズでしたね。
あ、ここから始まったんだな、と思えるパターンや、様式が結構たくさん発見できたことも唸らされた要因のひとつ。
やはりこれは時代を変えた一作、と言えるシリーズでしょうね。
戦隊もので名を馳せた作者であるからこそ描くことの出来た、人ならざるものの濃密なドラマがここにはあります。
多くの超人たちを描いた漫画は何が源流であったのか、本作を読めばきっとわかるはず。
そりゃ古さは否めません、けど同時に古さを超えたものがあるのも間違いないです。
食わず嫌いで長年放置しててすいませんでした、先生。


さるとびエッちゃん
1964年初出

週間マーガレットや平凡、少女フレンド等、掲載誌をかえて断続的に連載された息の長い少女マンガ。
ある特定の年代以上は妙に郷愁をそそるオープニングテーマが特徴的なテレビアニメを即座に思い出されることと思います。
さて私は作者の他の少女向け作品って、読んだことないんですが、本作に限っては、とても男性が描いたとは思えぬかわいらしさに、実に驚かされました。
リボンの騎士に代表される手塚先生の描いた少女マンガの凄さにもかつて感嘆しましたが、負けず劣らずのリリカルな筆致は、さすがはかつて天才漫画少年と呼ばれただけはあると唸らされる事しきり。
ちゃんと少女の目線に立って物事が描写されてるんですね。
さらにこの作品がすごいのは、なんでもありなのかよ、と思わずつっこんでしまいたくなるファンタジックな設定であるにもかかわらず、物語が破綻していない点です。
小学生がですね、大人顔負けの身体能力で怪力で、動物や赤ちゃんと話せて、しかも手品や催眠術の範疇に収まらぬ不思議な術を使い、おじいさんはギルモア博士そっくりで現代科学をはるかに凌駕したテクノロジーを駆使し、お父さんとお母さんは火星の運河に仕事で出張してるんですよ。
いくら忍者の末裔だからといって風呂敷を広げるにもほどがあると思いませんか?ねえ?
もはやそのスペックは神の領域に近いんじゃねえのか、と思わなくもないんですが、不思議とね、それが許せてしまうんです。
こんなルール不在のことをやらかしながら、すべてが身のまわりのささやかなトラブルの解決にしかエッちゃんが心血を注がないせいかもしれません。
少女マンガというカテゴリーに徹すべく、世界の殻を決して割ろうとしなかった賜物かもなあ、と思ったりも。
それになんといってもエッちゃんの造形がかわいい。
ズーズー弁でぱたぱた動き回る絵を見ていると、なんかもう孫を無制限に甘やかすおじいちゃんのような気持ちになってくるんですね。
私にとっては宝物のような1冊ですね。
よく知られている石ノ森章太郎のアナザーサイドが伺える、稀有な傑作だと思います。


ミュータントサブ
1965年初出

UFOの怪光線をあびたことにより、太古の人類が持っていたであろう超常能力を発現させてしまった少年、サブの活躍を描いた連作短編。
いわゆるエスパーものの草分け、と言っていい作品ではないでしょうか。
さすがに年代が年代ですんで今読んで新鮮に感じられる部分ってのは少ないんですが、私が驚かされたのは後に発表される超能力者をあつかった作品の多くが、いかにこの漫画を雛形としているか、はっきりとわかる形で提示されていること。
いわゆる超能力者の孤独であったり、超能力者を新人類と考える発想であったり、万能であるがゆえ招く悲劇であったりと、なんだよ、もう全部ここで発表されてるじゃないか、と感嘆することしきり。
地球へなんて強烈な影響うけてると思います。
石ノ森、おそるべし。
私はこれまで国内においてはバビル二世がエスパーものの嚆矢、と思っていたんですが、この作品を読んであらためて振り返るなら、あれはアメコミの亜流だったんだな、とはっきり言えますね。
もちろんそれを否定的に考えているわけではないんですけど。
ここからサイボーグ009につながっていったのか、と思えるようなくだりもあり、もう早い話が日本のヒーローものは全部石ノ森章太郎がこの時代にやりつくしてたんだ、と再認識させられたりしました。
余談ですが、ミュータントサブ、単行本化にあたって改変された経緯があるようです。
元々はサブ、広島出身で被爆二世という設定だったとか。
つまり超能力の発現は放射能のせいだった、というシナリオが元来のものらしいんですね。
それを踏まえて読み直すと全く意味の変わってくるお話もいくつかあり、ああ、原版を読んでみたかった、とつくづく思う次第。
改変が是か否か、は微妙な問題ではありますが、もしこれが雑誌掲載時のまま単行本化されていたら現在の評価をも超えて大傑作、と謳われていたかもしれないなあ、と思ったりもしました。
ちょっと無視できない一作ですね。


気ンなるやつら
1965年初出

お隣同士に住む高校生マリッペと六ベエのドタバタな日常を描いたラブコメディ。
まあ、このころのマンガで「ラブコメ」なんてジャンルはなかったわけですが。
嚆矢、ってわけでもないんでしょうけど、ラブコメと言っちゃうのが伝わりやすいかと。
で、内容ですが、もう、なんといいますか本当に他愛ない。
他愛ない、としか言いようがない感じですね。
事件に巻き込まれたり、スリラー風だったり、スパイもの風だったりと、各話毎回趣向は凝らしてあるんですが、腕っぷしは強いが単純な六ベエと、やきもち焼きだけど実は優しい女の子マリッペというキャラクター像がね、いかにも60年代で、これを今微笑ましく読めるのはきっと当時リアルタイムでこの連載を追っていた年配の方々だけだろうと思います。
ファンの想い出の中に生きる作品でしょうね。
あらためて今再読してどうこう言うような内容じゃない。
しかしこんな素朴なマンガが今はなきあの「平凡」に連載されていたのか、と思うと時代の移り変わりの激しさに眩暈を覚えそうになりますね。
そっとしておきましょう。
ノスタルジーを感じる人たちが手にとればそれでいいと思います。


佐武と市捕物控
1966年初出

非常に良くできた連作時代劇だと思います。
佐武と市のキャラも立ってるし、ミステリ仕立てのストーリーも当時の時代背景や風俗を上手に取り入れて、本格志向。
時代劇におけるバディものとしては出色の出来だと舌を巻きました。
ただですね、この作品、1話で収まりきらなかった物語の筋立てを逐一ナレーション風に書き込む傾向があって、それがどうにも私はひっかかった。
緻密なプロットとシナリオが作品の背後にあることは充分わかるんですが、それを全部文章で説明してしまっちゃあそれはマンガ表現の敗北だ、と思うんですね。
単なる絵解きに堕してしまう。
大人も充分楽しめるものを、という並々ならぬ意欲は感じ取れるんですが、うーん、なんかこうすっきりしない。
10巻全部読んだわけではないので断言は出来ないのですが、 やはり石ノ森章太郎という人は少年漫画を描いてる方が生き生きしてる、と思ったりもしました。
ダメだ、ってことじゃないんですけどね。
まあ、好事家の戯言です、お聞き流しを。


009ノ1
1967年初出

009とタイトルにありますが、サイボーグ009と直接的な関係はありません。
さしずめジェームズボンドの007をもじった、ってなところでしょうか。
主人公は肉体をサイボーグ化した女スパイ。
近未来を舞台に、秘密諜報部00機関の任務を人知れず遂行する日々の非情なるドラマを描く、ってな按配なんですが、なんといいますか、色々とこっ恥ずかしいものがあれこれありまして。
時代の風雪にさらされてギャグ寸前、というのは正直否定できません。
青年誌黎明期の手探りな試行錯誤はよくわかるんですが、先生、とりあえず乳マシンガンはあまりにも突飛すぎるアイディアでしょう、と。
ビジンダーじゃないんだから。
お色気たっぷりに、という意向もよくわかるんですが、女の裸のデッサンが完全に狂ってるんです、先生。
設定はいいと思うんですが、やっぱり凄く背伸びしたんだろうなあ、と言うのが伝わる内容。
珍作の部類、でしょうね、やっぱり。
改めて今読むには石ノ森章太郎という漫画家の資質を誤解しかねない危険性あり。
ま、作者のようにギネス級に多作な人の場合、どうしたって玉石混交になっちゃうんだろうなあ。
余談ですがアニメは全然ストーリーが違うみたいです。


千の目先生
1968年初出

70年代に放映されたテレビドラマ「好き!すき!魔女先生」の原作として名の知られた一作。
ただ、テレビドラマは学園ファンタジー風に大きく内容を改変しているようです。
共通しているのは新たに赴任してきた女教師が超能力の持ち主だった、という設定だけのよう。
で、本作なんですが、例によって石ノ森先生が大好きな宇宙人がUFOに乗って地球に飛来してきてます。
目的は地球侵略。
それを食い止めるべく少数の超能力者仲間たちと宇宙人に戦いを挑むのが千の目先生、というわけ。
なぜ先生なのかはよくわからないんですが、一緒に戦ってくれる潜在的超能力者を生徒の中から探すのが目的であるようにも描かれてます。
まあ、早い話が平井和正と共作した最初期の幻魔大戦みたいなものですね。
キャラクターと初期設定を入れ替えただけ、と言ってもいいかもしれない。
女性教師がエスパー、ってのが当時は目新しく映ったんだろうなあ、と思ったり。
第2話では千の目先生が単身、仲間を探して地方の学校に赴任するストーリーが描かれており、水滸伝みたいな感じで進めていくのかな?と思いきや、なぜか以降続編が執筆されることはなし。
そう、未完なんですね、この作品。
ネームバリューは高い一作ですが、たった2話ではなんとも評価のしようがない、というのが正直なところ。
当時の読者の思い出の中に生きる作品、でいいような気もしますね。
少女誌に連載されていたことを鑑みるなら、後続の少女漫画に何らかの影響をあたえた、という見方もできるかもしれませんが。


リュウの道
1969年初出

リュウシリーズ第三弾未来編。
カタストロフ後の未来の地球に不時着した主人公の宇宙パイロットが、変貌してしまった地球でなんとか生きていこうとするドラマを描いた本格SF。
舞台設定は猿の惑星そのままだったりするんですが、肝心のオチをオープニングで明かしてしまっているので、その後の展開は全く予測不能なシリアスさ、イマジネーションに満ちており、火の鳥にも肉薄しようかと言う勢いで巨匠の想像力がスパークしてます。
いや、久しぶりに夢中で漫画を読みましたね。
どうするつもりなんだ?と最後までハラハラドキドキ。
ああ、これは70年代国産活字SFに対する漫画の挑戦状かもなあ、なんて思ったりもしました。
少年誌掲載とは思えぬほど遠大で大局的なテーマはあきらかにその手のファンを意識したやり口。
エンディングがまた強烈なんです。
パノラマ視現象を筆に宿らせたかのような叙事詩的展開は、類を見ない迫力で100ページ近くにわたり、神と人と宇宙を滔々と描写。
いやこれはちょっと凄いです。
誰もこんなことやってないし、出来ないと思う。
若干煙に巻かれたような感触がないわけではありません。
ヒロインの雑な扱いが気になったりもしました。
でも漫画でここまでやりきったと言う事実を私は高く評価したいと思います。
リュウシリーズの最高傑作であり、SF漫画黎明期の金字塔とよんで差し支えのない作品でしょう。
恐れ入った。
傑作。


スカルマン
1970年初出

仮面ライダーへの道筋をつけた作品として有名な一作。
後に島本和彦が続編を描いてますが、そちらは未読。
元々は100ページほどの中編で、少年マガジンの新年読み切り企画として掲載されたものだったとか。
従来のヒーロー像を打ち壊す新しいスタイルの正義の執行者を、という編集部の依頼によって出来た作品らしいんですが、どっちかといえばヒーローと言うより仮装の殺戮者、といったほうが正解かも。
とりあえずスカルマン、良い行いは何一つしてないです。
狼やコウモリに変化する手下を率いて無差別殺人。
後にそれは復讐の為だった、とわかるんですが、まあ、ヒーローと言うよりはショッカーの幹部と言ったほうが立ち位置的には近いかも。
子供に見せるためのホラーと言うのが念頭にあった、と後に作者は語ってますんで、ひょっとしたらヒーロー云々はスカルマンのデザイン性だけでOKと早合点な解釈をしちゃったのかもしれません。
内容的には仮面ライダーと言うよりは、ミュータントサブのダークサイドを描いた、ってな印象ですね。
まー暗いです。
しかも一切の救いなし。
さぞや子供にとってはショッキングで実に後味の悪いエンディングだったことだろうなあ、と。
ただそれも70年だからこそ言える話で、今あらためて読んでなにか汲み取れるものがあるかというと微妙ではあります。
仮面ライダーと共通するものがないわけではないんですが、これを雛形とするのはちょっと肌合いが違うのでは、と私は思ったりもします。
決して不出来なわけではないですが、期待しすぎると肩透かしをくらうかも。


原始少年リュウ
1971年初出

リュウという名の青年を主人公に据えたシリーズ3部作の第1作、過去編。
舞台は原始時代のようなんですが、そのあたり、明言は意図的に避けられてます。
物語の根幹に関わってくることであるので、詳しくは書けないんですが、とりあえずこの舞台設定、なんとまあ、挑戦的であることか、と思いましたね。
原始時代を舞台に少年漫画、って。
はじめ人間ギャートルズみたいにするわけにもいくまいに、一体どうやって読者を取り込むつもりなのか、とはらはらしていたら、これが意外にさくさく読めて、おや?ってな感じ。
危なっかしいな、と思える部分も結構あるんですが、読者を誘導する手腕は巧みです。
冒険活劇としてのセオリーはきちんとおさえられている。
終盤のどんでん返しにはさすがに時代を感じさせるものもあるんですが、持ち込まれた史実がスパイスになっていて、相応に据わりの良いオチである、とは言えると思います。
なんとなくまとめきれなかったような気もしないでもないんですが、まあ、悪くはないんじゃないでしょうか。
SF好きとしては好感触な作品ではあります。
作者の果敢な挑戦心を買いたい、と思える一作ですね。


仮面ライダー
1971年初出

特撮ドラマシリーズより漫画連載が先行してますが、厳密には原作ではなく、東映に作者が設定とキャラクターデザインを提供した経緯から、講談社が漫画化を石ノ森に依頼した、と言うのが正解。
今日に至るまで仮面ライダーの原作は石ノ森章太郎と必ず表記されてますが、あれ、どうなってるんでしょうね?
なにか大人の話し合いでもあったんでしょうか。
で、肝心の内容ですが、ほぼテレビドラマシリーズと同じながら、細部に微妙な違いがあります。
実は本郷武はショッカーの改造手術によって負った顔の傷を隠すためにライダーのマスクをかぶっている、とか、サイクロン号にのって風を受けないと改造人間としての力を発揮できない、とか。
特に前者は石ノ森章太郎らしい設定だなあ、と思ったりもします。
他にも立花藤兵衛はスナックアミーゴのマスターではなく、本郷の生家につかえる執事だったり。
このあたりはバットマンの影響か。
社会問題や、敵改造人間の悲哀を盛り込むなど、漫画ならではの独自路線を楽しめないこともないんですが、やっぱりテレビドラマシリーズにあれこれひっぱられてるなあ、ってな印象はありますね。
とりあえず、藤岡弘のケガによる降板のせいで2号ライダーが登場した経緯まで漫画がまねる必要はなかった、と思うんです。
こっちじゃ1号ライダーは死んでしまったことになってるんですけどね。
悪くはないと思うんですが、別にテレビドラマで事足りる、というのが正直なところでしょうか。
作者はもっとすごいものを他にいっぱい描いてると思います。
ファン向けのシリーズでしょうね。


人造人間キカイダー
1972年初出

特撮テレビドラマの原作、と見られがちですが、実は東映の企画が先で、作者はその漫画化を依頼された形。
なので純粋に石ノ森作品、と言うわけではないんですね。
しかも本作、先生ご本人はネームと下書きを担当しただけで作画は4人のアシスタントが分担。
厳密には東映原作、石ノ森プロ作品、というのが正解。
著しく購入意欲がそがれる舞台裏事情なんですが、それでもある特定の年齢層の人間にとっては懐かしさだけで思わず手に取ってしまう、ってのはあるでしょうね。
それほどキカイダーは当時の子供達にとって突出した特撮ヒーローだったと私は感じています。
敵役のハカイダー人気も本作を盛り上げた大きな要因ですが、主人公が、不完全な良心回路を持つロボット、と言う設定が当時は実に斬新だった。
テレビシリーズと漫画、大きく違いはないんですが、私が驚かされたのはキカイダーの左右非対称なデザインが良心回路の不完全さを象徴したものであること、キカイダーを身体障害者と呼んでしまう作者のアナーキーなセリフ回しでしたね。
漫画では、不完全な心を持つロボットが自己同一性に悩みつつ、同じロボットと闘い続けなければならない宿命をテレビドラマ以上に深く掘り下げて描かれてます。
そこにぐっと惹きつけられる人もたくさんおられるのでは。
正直中盤は中だるみ。
東映の意向もあったのか、重厚なテーマを抱えつつも置き去りなまま、淡々とビジンダーや01登場。
結局キカイダーとはなんだったのか、答えの出ぬまま問題提起だけでなんとなく終わってしまったのが残念なんですが、テレビの提灯持ちとあなどれない本格的なSF的思考性を内包しているように私は思いました。
石ノ森章太郎本人の筆で、テレビを逸脱した「本気の漫画作品としてのキカイダー」を読みたかったですね。
色々もったいない、というのが正直な感想ですかね。


買厄懸場帖 九頭竜
1974年初出

作者の代表的な時代劇といえば佐武と市捕物控でありさんだらぼっちか、と思うんですが、個人的な好みでいうなら本作が一番よく出来てるんではないか、と思わなくもありません。
なによりプロットが秀逸。
全国を巡る薬売りでありながら、惨殺された親の仇を探すためにトラブル解決を引き受ける裏の顔をも持つ男の旅の日々を描く、ってちょっと類似作が思いつかない高い娯楽性と独自性があるように思うんですね。
なんかもう、そのままテレビドラマにでもできそうな感じ、とでも言いますか。
九頭竜の卓越した体術のベースとなる技が山岳修験道に祖をなすもの、というのも斬新だったように思います。
剣術じゃない、ってのが想像を膨らませますよね。
隠し金山なんてのが飛び出してくる謎が謎をよぶ展開も、一筋縄に敵を討たせてくれなさそうで期待させるものがあった。
ただ、そこまでエンターティメント性豊かな献立を並べておきながら、当時の風俗、情緒に重きをおいたセンシティヴな作話は、作家性とはいえちょっとまどろこっしいものがあったのは確か。
素直に気持ちよくさせてくれない、というか。
これを小池一夫、小島剛夕コンビが描いてたらなあ、なんてつい夢想してしまいますね。
さいとうたかをがひどくこの作品に入れ込んだ挙げ句、自分なりにリメイクを発表したのもわからなくはない出来ではあるんですけどね。
続きを読みたいんだけど、失望したくない、そんな葛藤を感じる一作ですね。
今のところ続きを読むのは中断中。
またいつか2巻を読んだ日に最終的な評価をつけ加えたい、と思います。


番長惑星
1975年初出

リュウシリーズ第二作現代編。
パラレルワールドをテーマに取り組んだ意欲作なんですが、少年チャンピオンという掲載紙の性格上か、ケンカ上等全国制覇みたいな、いわゆる後年のヤンキーもの的要素も過分にあり、それが正直うっとおしい、というのはどうしてもあります。
SFにしたい、という作者の意図と、編集側で葛藤があったのか、内容もアンバランスでちぐはぐな印象を私は受けました。
序盤で登場させたキャラクターが全く終盤では必要なくなってたり、中盤までの展開が後半では意味を成さなくなっていたり。
しかしそれにしても石ノ森先生はUFOが好きだ。
そういう時代だったのかも知れませんけど。
ストーリーの流れからするとエンディングはもっと劇的になってもおかしくはなかった、と思うんですが、何となくあわてて後片づけをしたような感じになってしまったのも、物語の方向性に迷いがあったからかもしれません。
おもしろくなりそうな予感があっただけに残念。
序盤の緊張感を持続できなかった惜しい作品。


バンパイラ
1975年初出

プレイコミックに連載されたSF艶笑コメディ。
吸血鬼族の女の子の男漁りの日々を描いた作品なんですが、なんと言えばいいのかもう、全てがいい加減で。
同族の子孫を増やすために主人公のパイラちゃんは、人間界にてベッドのお相手を常に捜し歩いてるんですが、いや待て、そもそも生まれてくる子供はハーフなんじゃねえのか、それを同族の子孫と言えるのか?というつっこみが前提として容易に成り立ってしまうわけでして。
ルール作りも適当。
パイラちゃんと寝たらその後死ぬ、と言ってみたり、精気を吸い取るだけと言ってみたり。
あまり露骨に書きたくはないですが、石ノ森先生、描き殴りじゃねえっすかこれ、と。
もう、本当になにもかも雑すぎて。
マンガでお色気シーン、エッチなシーンを提供する、というニーズにのみ答えた凡作でしょうね。
まあ、この頃のプレイコミックは他の漫画家先生方も似たような作品を提供されてますし、それが誌風だったんだと推察しますが、それにしてもこりゃひどい。
なぜこの作品をわざわざ97年に双葉社が文庫化したのかよくわかりません。
なにか当時を知る人だけが共有する、私の知らない特異な価値でもあったんでしょうかね。 
個人的にはファンでもきついんじゃないか、と思います。
1巻のみで挫折。


ストレンジャー
1976年初出

僻地に隠された空間転移装置によって、火星に移送された主人公の冒険を描くSFファンタジー。
誰かがこれは石ノ森章太郎による「火星のプリンセス」だ、と評してましたが、ああ、そう言われればそうかも、って感じですね。
まえがきで「E・R・バローズとジョン・カーターに捧げる」とご本人も書いてらっしゃいますし。
実は火星には地下都市があって、そこは巨大化した昆虫が人間を捕食する世界だった、というのが物語の骨子なんですが、どことなくかの名作「リュウの道」と質感は近いです。
ケレン味たっぷりなヒロイック・ファンタジーといったほうがいい、と思える点も似てる。
作者自身がどう考えていたのかはわからないんですが、リュウの道の火星版をやりたかったのかなあ、と思ったり。
私が少し引っかかったのは、相変わらず石ノ森先生がUFO大好きなこと。
オチはそれなりに本格SFな展開で唸らされるものもあるんですが、もう異星人を絡めてくるのはいい加減にしたほうがいいんじゃないか、と正直思ったりもしました。
ほとんどの石ノ森SFは最後にUFO飛んできて語りだしますからね。
広げた風呂敷をたたむすべがUFOしかないのか、とつっこみたくもなる。
ヒロインの扱いがおそろしくぞんざいなのも相変わらず。
後追いでここまで読み漁ってきましたが、ことSFに関しては作者の限界が見えてきたような気もした一作。
創造性豊かな冒険譚そのものは今読んでも楽しめるものがあるんですが、それと同時に、時代劇や人情ものに力を入れだした後年の方向性がなんとなく納得できたりもしましたね。
どちらかというとファン向けかもしれません。


さんだらぼっち
1976年初版

遊郭でのツケを回収することを仕事とする、始末屋とんぼの活躍を描いた時代劇。
早い話が吉原から債権を買い取って、支払おうとしない借財人から現金を徴収する借金取りの話なわけですが、金にまつわるすさんだ人間関係やアコギなやりとりが痛々しくも赤裸々に描写、ってわけではなく、どうしたら払ってもらえるのか、知恵と工夫でなんとかしましょう、ってな人情噺的内容です。
そこはもう、いかにもな義と情の時代劇のテイスト。
要は「おめえさんには負けたよ、しかたねえ金は払ってやる」と相手に言わせるまでのプロセスを楽しむ漫画、と言っていいでしょうね。
また主人公のとんぼがすっとぼけた人物で。
馬耳東風、のれんに腕押しと言った風な飄々たる体ながら、突拍子もないアイディアで意固地になった借金主の心を溶かしたりする。
読んでてはまる人は見事にはまると思います。
借金取りに身をやつしながら、とんぼ本人はいたって無欲で、純心な性格、としたのもうまい、と思いましたね。
色と欲の世界のお話であるが故に、双方の対比が「なにを本当は一番大切にすべきか」を浮き彫りにするんです。
長期の連載、となったのも納得のシリーズですね。
ただですね、私個人的にはどこかね「浮浪雲」とかぶる質感があるなあ、と感じたりも。
浮浪雲の主人公、雲とキャラ設定に似通った部分を嗅ぎ取ってしまうからかもしれません。
あとは好みの問題で、小池一夫や平田弘史の時代劇を好んで愛読する身としては、やっぱりなにかと性善的で心優しすぎる、と思える点もちらほら。
おそらく私の嗜好が屈折して特殊なんでしょう、きっと。
広くオススメできる時代劇漫画であることは確かです。
余談ですが、さんだらぼっちとは、米俵の丸型な閉じ口のこと。
なぜそれがタイトルに冠してあるのか、よくわかりません。


ギルガメッシュ
1976年初出

ギルガメッシュ叙事詩をモチーフに描かれたSF。
本筋から逸れて、当時話題になった古代文明の謎や、最先端科学技術の紹介に話を振る傾向がややあり。
古代の遺伝子から復活したクローン兄弟に軟禁される主人公、という序盤の展開は緊張感があっておもしろかったんですが、その設定のいかされぬままやたらUFOがとびまくって、やれ超能力だ、闘いだー、で後半はもうグダグダ。
ギルガメッシュと主人公達の緊張感ある関係をもう少しうまく演出することが出来ていたら、少年マンガとしては画期的な悪徳のピカレスクロマンにもなったか、と思われるんですが、エンディングに至ってはギルガメッシュ叙事詩丸写しでだらだら戦闘シーンのていたらく。
しかもきちんと終わってない、ときた。
未完なのかどうかも不明。
というかこれ、番長惑星となにが違うのかと。
しかし本当にUFOと宇宙人がお好きだ、先生は。
うーん、凡作でしょうね。


仮面ライダーBlack
1987年初出

企画ものだったのか、漫画が先行しているのかはわからないんですが、テレビドラマシリーズとはまるで趣を異にする独特な内容であるのは確か。
単純にヒーローもの、と言うよりは、異形へと改造された青年のやむにやまれぬ戦いを描いている、と言った感じ。
若干のホラーテイストもあり。
なんかライダーの作画が妙に生々しいんですよね。
どこか、あえてバッタの化け物のように見えるようにデザインされているというか。
それこそが作者の意図するところだったんでしょうけど。
とりあえず、記憶を失った青年が、自らのメタモルフォーゼに戸惑いながらも、クリーチャーとの闘いを経て、自分を少しづつ取り戻していく浅い巻の展開はなかなか読み応えがあったように思います。
中盤を過ぎるまで、一言も「仮面ライダー」という語句が登場してこないのもリアリティを構築する上で配慮されてるなあ、と思った。
よろしくないのは終盤。
仮面ライダーBlackは、世界の王となるため改造されたのだ、という前フリを忠実に追う形で伝奇SF風の路線をひた走りだすんですが、これがどうにも突拍子もない感じで、その背景を支える設定に真実味がない。
いきなりタイムスリップとかされてもついていけないわけです。
敵、ゴルゴムの中枢をになうであろう計画者の顔がさっぱり見えてこないのもいただけない。
エンディングに至ってはもうグダグダ。
なぜそうなるのかよくわからないまま多くのハテナマークを抱えつつ最終決戦なものだから、伝わってくるものがなにもない。
先生、描ききれずに投げてませんか、と。
前半のテンションが後半で急降下した残念な例、でしょうね。
どこか怖く、哀しいライダーを期待していたんですが、どこにも着地できなかった失敗作だと思います。
残念の一言。


サイボーグ009完結編 conclusion god’s war
2012年初出

サイボーグ009は完結していない、というのはファンならご存知のことと思われますが、残された石ノ森章太郎の構想ノートを元に、石森プロが総力を挙げて漫画化に挑んだのがこの作品。
そもそも009の完結編は「天使編」と「神々の戦い編」二つあるんですね。
天使編のリテイク版が神々の戦い編なんですが、どちらも核心に物語が及ぶ前に中断。
完全なる完結編を、という意図で「GOD’S WAR」なるタイトルのシリーズが98年創刊のコミックアルファに連載されるはずだったんですが、先生本人が病に倒れてしまったことで掲載中止。
このプロットは後に小野寺丈が小説化して出版するんですが、漫画と言う形では2012年まで存在しなかった。
いや、そりゃね、ファンとしちゃあ胸が高鳴りますよ。
ご本人はもういらっしゃいませんし、幻の企画として決して読むことが出来ないもの、と思っていたのが形になるんですから期待するな、と言う方が無理。
ただ不安はあった。
なんせ完結編、最後の敵は「神」なんです。
石ノ森章太郎ですらもてあまし、2度の未完を余儀なくされた題材。
それを残された人間で最後まで描ききることができるのか、と。
オープニングはただただノスタルジーでした。
ああっジョーがあっ、フランソワーズがあっ、また漫画に登場してるーっ、って大興奮。
ですがそれもオープニング終了までの話。
率直に言いまして、ああこれは009じゃない、というのが正直な感想。
そりゃ本人不在なんですからそっくりそのままなはずはありません。
似て非なるものになるだろうことは覚悟していた。
でも石ノ森作品に似せることが第一義としてあり、他がおろそかになっているなんて思ってもみなかったんです。
びっくりするぐらい石ノ森章太郎の作法やクセを忠実に再現してるのは間違いないんですが、なんといいますか、キャラが誰一人として生きてないんですね。
ジェットもフランソワーズも誰も見てないんです。
抽象的で恐縮なんですが、全員の目がうつろなんですね。
視点移動とか、技術的な問題なのかなあ、と思ったりもしたんですが、それともまた違うような気がする。
キャラの誰一人として読者に語りかけてこないんです。
いわゆる役者でいうところのダイコンばかりが棒読みのセリフで舞台に立ってる感じなんです。
漫画を読んでいてこんな経験は初めて。
ただただ残念。
期待が大きかった分、落胆の度合いも手痛いものがありました。
いっそのこと若手の有望な新人に、絵柄を変えてでも描かせるべきだった、と今は思いますね。
009は未完。
それは私の中で変わらぬまま終わってしまうようです。


*画像をクリックすると電子書籍の販売ページへと飛びます。

タイトルとURLをコピーしました