キャプテンKEN
1960年初出

未来の火星を舞台にしたSF大作。
人類が火星に入植して、先住民である火星人を使役して繁栄を築き上げている、と言う設定の物語なんですが、マカロニウエスタン風な味付けがなされており、異色作、と言えるかも知れません。
人類とその他の知的生命体の共存を探る、という「ロック冒険記」の頃から幾度も繰り返されているテーマに手塚治虫は本作でも挑戦。
KENの正体は一体誰なのか?というミステリ風味つけがこれまでに比べると斬新で、あかされたSF的オチも当時にしては秀逸だったと思います。
過去作の焼き直しだとは思うんですが、それでもエンディングにはぐっとくるものがありますね。
KENとパピリヨンが一緒に連れ立っていく、という絵がなんとも象徴的です。
0マンの後に少年サンデーに連載されており、あまり人気は出なかったらしいですが、0マンより物語としては良くできていると私は感じました。
冒険放送局
1960年初出

小学館の学習誌、小学4年生に掲載された幼年向け漫画。
ドラえもんでいうところの「もしもボックス」をストーリーの核に持ってきた作品ですが、はっきり言って破綻してます。
何が描きたかったんだ先生?って感じ。
いくら幼年向けでもこれはないだろうと。
うーん、失敗作でしょうねえ。
併録されているボンゴはジャングル大帝にも連なるテーマで、少年ターザン大活躍ってな内容。
当時に思い入れのある人向きの1冊でしょうね。
ナンバー7
1961年初出

後付けなカテゴライズをするなら大枠で戦隊もの。
人類が住めなくなるほど汚染された地球をいつか住めるようになる日まで、宇宙人の魔の手から護る7人の地球防衛隊の話。
いきなり地球規模で水爆戦が起こり、強制的にコールドスリープさせられる主人公のシークエンスから始まるオープニングはインパクト充分で、全く先の展開の予測できない緊張感にみちたものだったんですが、主人公が目覚めてから後のストーリーは正直かなりアバウトです。
そのアバウトさも7人の防衛隊の個性が際立てば帳消しになったか、と思うんですが、先生、きちんと7人のキャラを描き分けてなくて、結構おざなりでして。
収束せずに終わってしまうエンディングといい、全体的にルーズな作品、といった印象。
横山光輝のチームプレイ漫画を意識した、と先生はおっしゃってますが、これはチームプレイとはいえないのでは、と思う次第。
多分こういう漫画の完成型はサーボーグ009まで待たねばならないのでは、という気がします。
後続になにがしかのヒントを与える、というようなことはあったかもしれません。
ふしぎな少年
1961年初出

異次元をくぐり抜けたことが原因で時間を止める能力を持った少年、サブタンの冒険を描いた物語。
テレビドラマ化され「時間よ、止まれ」のセリフが流行したらしいんですが、全く知りません。
年配の方はご記憶されてるんでしょうか。
ただ個人的には、そうしたヒットの背景とは裏腹に、あまりに荒唐無稽すぎて設定そのものに無理があるように思うんですね。
まず、時間を止める、という能力自体があまりに絶対的すぎて、ここに悪者の手が伸びる余地なんてないと思うわけです。
敵が立脚する隙がない。
そもそもサブタンが苦闘しているシーン自体が矛盾だらけなんです。
なぜ「時間止めてさっさとかたずけないのか」と毎回首をひねってしまう。
それを悟ってか物語後半では命にかかわるようなピンチじゃないと時間を止めてはいけない、と四次元人に規制されるんですが、そうなったらそうなったで今度は四次元人の存在自体が、いったい何者なの?と思えてくる。
時間を操るような超絶の存在が、なぜ三次元であるこの世界に干渉してくるのか、そもそもサブタンに能力を許しているのは何故か、と新たな疑問が次から次へとわいてくる。
元々は辻真先氏の企画で依頼されての作画だったようですが、色々ゆるい内容の作品だと思います。
当時の思いいれのある人向け、でしょうね。
白いパイロット
1961年初出

少年サンデーに掲載された、冒険アクション。
独裁国家から逃げ出した少年達が最新鋭の戦闘機ハリケーンに乗って、独裁国家からの追っ手と闘う、というストーリーなんですが、もうほとんど異世界ファンタジーです。
とても現実の出来事とは思えない。
キャプテンKENに続く作品で、キャプテンKENが火星の物語であったために人気が芳しくなかったことを踏まえての脱SFだと思うんですが、蓋をあけてみれば結果的にこれも手塚SFになっちゃってた、という。
出生の秘密なんかも絡んで物語の骨子は古い少女漫画的でもあるんですが、ちょっと地に足が着いていない印象を受けました。
エンディングが涙を誘いますが、なかなか再評価は難しいような気もします。
アリと巨人
1961年初出

一本のクスノキをシンボルとして戦中から戦後にかけ、親友同士である二人の数奇な運命を描いた人間ドラマ。
先生の得意そうなテーマで題材だと思うんですが、なにぶん掲載紙が中1コースと中2コースなので、どこか子供向きなのは確か。
あまり掘りさげてじっくりとドラマが描かれることなく、どちらかといえばなにかと安直ではあるんですが、こういった試みが後の濃密な青年向き作品につながっていったのでは、と思うと興味深くはあります。
どっちかというと熱心なファン向きですね。
勇者ダン
1962年初出

両親を亡くしたアイヌの少年コタンと、動物園行きの列車から脱走した虎、ダンとの種族を超えた友情と冒険の物語。
アイヌの残した宝を探す、というプロットも、その宝が実はなんであったか、というオチも、きちんと練られていて、良いと思うんですが、虎のダンがさしたる理由もなしに人語を解してコタンと意志疎通が出来るという展開が、少年サンデー掲載の割にはいささか幼年向きっぽいような気もしなくはありません。
当時の少年サンデーがどのあたりの年齢層をターゲットにしていたのかはよくしらないんですが。これはどうなんだ?と思ったのはエンディング。
なんでまたこんな悲惨で痛々しいラストシーンにしちゃったのか、私にはよくわかりません。
何かを示唆、暗喩しているとも思えないですし。
先生があとがきで描かれているように結局は不調だった、ということなのかもしれません。
決して悪くはないんですが、後味の悪さに賛否が分かれそうではありますね。
ビッグX
1963年初出

第二次世界大戦中、ナチスが開発した人間を巨大化する薬を手に入れた少年昭の活躍を描いたある種の変身ヒーローもの。
わかりやすい勧善懲悪なSFアクション、と言ってしまえばそれまでですが、痛快なのは確かです。
少年がそのまま巨大化して活躍する、というプロットは後にも先にもこの作品ぐらいぐらいではないか、という気がするのですが、さてどうなんでしょう。
普通に人が巨大化した姿がヒーローとしてかっこいいのかどうか、と言う部分で、若干私はのりきれない所もあったのですが、当時はアニメ化もされ、ヒットした、とのこと。
ただまあどうしても連想しちゃうのはアメコミのハルクですよね。
先生がハルクにインスパイアされたのかどうかはわかりませんが、子供も楽しめるハルクを、という意図がもしあったのだとしたら、果敢な挑戦だったと思います。
独特なポジションにある作品だとは思います。
新選組
1963年初出

タイトルそのまま手塚版新撰組。
史実を好き勝手改変したストーリーを、先生はあとがきで「いい加減すぎた」と反省されていますが、個人的にはコレはコレで全然構わないと思う。
最近の時代劇の方がもっと滅茶苦茶やってます。
幕末の動乱期に親を殺されて、力を欲するが故に新撰組に入隊するが、逆に力とはなにかを考えさせられる羽目になる少年剣士の心情が上手に表現されているように思いますね。
ラストは先生お得意のパターンでちょっとうやむやになっちゃったような気もしますが、決して悪い作品ではないです。
突出したなにかがあるか?というと微妙なところだったりはしますけどね。
SFファンシーフリー
1963年初出

SFマガジンに連載された短編を集めた一冊。
日本の活字SFがようやく認知されだした頃のSFマガジンとあって、先生も気合いが入っていたのか、うるさい読者の目線を意識した大人向けのSFを描いてらっしゃいます。
たあいない、といえばたあいない短編ではあるんですが、所詮漫画だから、といった蔑視をよせつけまい、とする意欲を作品に感じます。
SFマガジンの初代編集長だった福島正美氏はひどくマンガに対して差別的だったらしく、その偏見に対して一矢報いたい気持ちも少しはあったのではないでしょうか。
しかし「当時はSF漫画なんてアウトサイダーだった」とのあとがきには大変驚かされました。
後進へと続く道をこうして手塚治虫が切り開いていったからこそ後の隆盛があるのだ、と思うと実に感慨深いです。
収録されている短編ではやはり「ドオベルマン」が出色の出来か。
鉄腕アトム別巻
1963~1980年初出

各誌で発表されたアトムの登場する短編をまとめて収録したもの。
2巻は月刊ジャンプに1年ほど集中して連載されたものをまとめて収録。
1巻はジャンルも傾向もバラバラ。
それこそ大人向けなコメディから少年向けSFまで。
ブラックジャックの一話まで収められてます。
手塚スターシステムでアトム風の少年が登場するんですね。
あと2巻は本編の続きというわけでなく、独立した連作、といった感じ。
かなり幼年層向けに噛み砕いて描かれている印象。
当時は月刊ジャンプも小学校低学年ぐらいがターゲットだったんですかね。
総じてマニア向けですね。
アトムの活躍がもっと読みたい、という熱心なファンのための2冊。
W3
1965年初出

地球よりも遙かに科学や文明の進んだ星に住む宇宙人達が、地球人の知らないところで実は銀河連邦を形成。
銀河連邦は争いの耐えぬ地球を滅ぼしてしまうかどうか結論を出すために地球に3人のスパイを送り込んだが・・・ってなオープニングから始まるSFなんですが、そのような映画だかテレビドラマをどこかで見たことがあるようなないような。
少し毛色が違うのは、スパイ3人が地球上では動物に姿を変えてしまっていること。
企画先行の作品らしいんですが、地球の少年とスパイ達が少しづつ心をかよわせあって、お互いに成長、偏見を取り払っていく展開はセオリーどおりながら丁寧に描かれていると思います。
見事なのはラスト。
まさかこういう作品でタイムパラドックス的手法を用いてくるとは・・・ととても驚かされました。
50年代後半から60年代初頭って、先生、軽いスランプ状態にあったように思うんですが、それを一気に突き抜けた快作ですね。
張り巡らされた伏線がどんでん返しへと鮮やかに結びついた手塚治虫60年代の名作のひとつ。
これは抑えておくべきでしょう。
マグマ大使
1965年初出

少年向け巨大ロボアクション、と言った趣ですが、侵略SF風でもあり。
とりあえずアースさまはあれほど絶大な力を持ちながら、なぜマグマ大使に仕事を委任しているのかよくわからん。
自分が出ていった方が早く解決するだろうに。
後半で魔神ガロンが登場したりと、なにかと胸の躍る展開があったりもするんですが、問題は本作も魔神ガロンと同様終盤が代筆のため、単行本に収録されていないことにあります。
他の判型では収録されているのかも知れませんが。
評価のしようがなし。
テレビ化もされた有名な作品ですが、ロケット人という発想の奇抜さはかう、と言った程度でしょうか。
現状、未完なんで懐かしさ以上のものは見いだせない状態ですね。
フライングベン
1966年初出

ずいぶんと行き当たりばったりなSF冒険活劇。
お忙しかったのだろうなあ、と推察してみたり。
なんとなく勇者ダンとW3を足して2で割ったような印象を持ったんですが、しゃべる犬が少年を助ける話だからそう感じただけかもしれません。
しかしそれにしても本作、度を超して思いつきだけでストーリーを進めちゃった印象が濃いです。
あまりにツッコミどころが多すぎて逐一あげつらうのも一苦労。
よほどのファン向きでしょうね。
犬がお好きなんだなあ、というのは伝わってきました。
バンパイヤ
1966年初出

もし現代に吸血鬼や狼男がこっそり生き残っていたら・・・という物語なんですが、これ、似たような設定でハリウッド映画ありましたね。
訴訟起こしたら勝てそうな気もしますが、タランティーノみたいに潔く認めたりはしないだろうなあ、きっと。
そりゃもういいか。
吸血鬼族を操ろうとするロックと、それを阻止しようとする周りの人間達の攻防を描いた一作なんですが、悪徳のピカレスクロマンって感じで、あまり少年漫画らしくありません。
つまらないわけではないんですがロックが出てきて悪行を働こうとすると、たいていの作品はどんよりと暗く、面白味に欠けてくるというパターンが手塚先生の著作にはあって、なんとなく後のアラバスターとか、想起したりもしましたね。
手塚治虫本人も狂言回し以上の役柄で本作に登場していて、力の入った作品だ、と思うんですが、結局はロックというキャラにふりまわされてスカッとしないまま終わっちゃったような気もします。
秋田書店版の4巻から第2部が掲載されていますが、これは雑誌の休刊に伴い中断。
その後、続きが描かれることはなし。
テレビドラマ化もされた有名な作品ですが、手塚治虫のダークサイドってな印象で、私はあまり好きではないです。
題材はよかったように思うんですが。
人間ども集まれ
1967年初出

漫画サンデーに掲載された青年向きの作品。
「第三の性」をもつ人間を産み出すことの出来る主人公、太平の精子に着目した黒主は、太平を拘束して独立国家設立やら戦争ショーやらに本人を無理矢理巻き込むが、やがて反乱がおこり・・というストーリーの、とにかくデタラメでナンセンスなドタバタ活劇。
先生らしからぬ乾いた絵柄でスラップスティックな味つけが新鮮な一作ですね。
なぜかエンディングは妙にしんみりしてます。
ただそれがいまいち胸に迫ってこない、というのはありますね。
「第三の性」を持つ人間の精神構造がいったいどうなってるのか、いまひとつわかりにくいのがその原因かと思います。
というか「第三の性」の人間とは突き詰めるところどういうものであるのか、きちんとしたルール作りを手塚治虫はやってない。
なので単にばかばかしくて笑えはするんですが、スケールの大きさに喝采を送るほどの満足感は得にくいです。
先生にとってこの画風、作風は挑戦でもあったと思うんですが、もう少し設定をきちんとしていただきたかった、というのはありますね。
アイディアはおもしろかったように思うので、ちょっと残念。
どろろ
1967年初出

魔物に呪われたせいで体の48カ所を欠損した状態で生まれた百鬼丸の、魔物退治の旅を描いた異色の時代劇アクション。
なぜかタイトルは旅のパートナーであるどろろの名を冠してあるんですが、そのあたりの意図は不明。
少年サンデー連載当時は、暗い、と不評だったらしいんですが、何故これが不人気だったのか不思議でなりません。
数ある手塚作品の中でもダントツで独創的で、見事な設定、プロットだと私は思います。
目も耳も口も利けず、臭いも知らない、手足もない、まるでダルマのような子供が、異端の医師、寿海に拾われなんとか人の姿に仕立て上げてもらうオープニングは、まるで後のブラックジャックにおけるピノコ誕生のシーンを見るかのようですし、さらには、不具であることに甘んじず、義手義足の状態で自分の体を奪った妖怪を倒すために旅に出る、という筋立ても先の展開を期待せずにはいられない見事なストーリーテリング、といえるでしょう。
もうこの時点でぐいぐい作品に惹きつけられている自分が居るわけです。
百鬼丸の旅はもう設定そのまま自己再生の旅なんですね。
ある種のロードムービーにも似た哲学性を併せ持つ。
先生は体全てを取り戻した百鬼丸を描いて、なんとしてもその奇怪な旅の答えを読者に示すべきだった、と思うんですが、残念ながら本作は未完。
もしこれが完結していたらもうとんでもない傑作になっていただろうなあ、と思われるだけに本当に残念。
しかしながら既刊4巻分、描かれたその旅の断片は、旅を完遂するまでは異形として生きるしかない百鬼丸の苦悩に始まり、どろろの存在そのものに対する問いかけ、愚かな司政者に対する痛烈なアイロニーありの、読み所満載で、一切の隙なし。
手塚作品の中でもトップクラスの傑作だと思います。
余談ですが、07年に映画化されたどろろは、お前はこの漫画の何を読んでいたんだ、と激昂したくなるほどの駄作なんでご注意。
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