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スペイン 2019
監督 ガルデル・ガステル=ウルティア
脚本 ダビド・デソーラ、ペドロ・リベロ

各階の中央にポッカリと穴の空いた高層ビルに閉じ込められ、定められた期間のサバイバルを強いられる囚人たちを描いたシチュエーション・スリラー。

厳密に言うと、このビル(垂直自主管理センターという名称)に閉じ込められてる人たちは自分の意志でやってきた者が多いようで、そういう意味では囚人ではないんですけど、じゃあ強制的に収監されてはいないのか?というと、そこはケース・バイ・ケースみたいで詳しくは説明されてません。

わかっているのは半年耐え抜いて社会に復帰できれば、色んな面で優遇される、という報奨制度のみ。

ちなみにこれも人によってまちまちです。

中には数年をビル内で過ごしている人間もいる。

あ、なんか公的機関が一枚噛んでるんだ、と匂わせる設定は優秀だったと思いますね。

多くのシチュエーション・スリラーは説明しないですし。

ビデオゲームさながらに「こういうものだから」と、世界観及び製作者自らが取り決めたルールだけで最後まで押し切ろうとする。

結果、アイディア勝負になっちゃうんで凡庸で退屈なSFモドキが量産されてしまう、という。

ま、いいんだけどね。

本作における「全く別世界の出来事ではない」とした物語の骨組みは、ストーリーの導入部で一気に冷めてしまうことを上手に回避してましたね。

この手の荒唐無稽なフィクションが苦手な人でも振り向かせるだけの地続きな現実味があった。

また、物語を支える小さなエピソード、舞台の外の演出が監督、上手でして。

序盤でいきなり大勢のコックが、料理長らしき男に厳しくチェックされながら忙しく厨房で働くシーンが挿入されたりするんですよ。

なんだこのシーン?と呆気にとられるんですけど、見進めていく内にそれが何を意味してるのか納得することになる。

部屋の中央の穴に、定期的に無重力エレベーターさながら台座が降りてくるんですが、そこに豪華絢爛な料理が所狭しと乗っかってるんですね。

あ、これ、コックが本気で作った料理だったんだ、と後から我々は知るわけです。

つまりこのシステムは、むやみに死者を量産するための流罪的な性質のものではないのだ、と暗にわかるようになってる。

さあもう、ここまで理解できたら後はひたすら前のめりですよ。

いったいこれはどういう試練?修養?なんだ?と。

当然台座の食料は、階下に進めば進むほどなくなっていくわけですから。

中盤で明かされるんですけど、どうやらこのビルは最低でも200階以上はあるらしい。

階数を示す数字が100を超えたりなんかした日には食料が残ってるはずもない。

各階の住人は1ヶ月毎に階層をシャッフルされ、自分たちが目覚めたとき、はたして何階にいるのかはその日が来るまでわからない。

各部屋の住人は2人。

さて、何が起こるのかは火を見るよりも明らか。

決して主人公は脱出が目的ではないんですけど、飢餓を恐れる日々が自然と彼を徹底的なリアリストに育て上げていく。

その内面に燃え盛るのは強烈な反骨心。

最終的に主人公は何を選択するのか?

終盤の展開は怒涛。

その手があったか、と驚きつつも、これまで誰も気づいていないはずがない・・・という疑念がろくでもない最後を想像させる。

そして迎えたエンディング。

・・・・・うーん、そんな風に煙に巻いてしまうのかー、と。

はっきりいってスッキリしないです。

なにもかもが白日のもとにさらされてしまうことを期待した人はがっくりくるでしょうね。

ただ、これを寓話的な側面から捉え直すなら、監督が何を訴えたかったのか、おぼろげながら想像できる仕掛けにはなってる。

宗教的な解釈も可能でしょう。

賛否分かれるところだとは思うんですが、「あり」か「なし」かで言えば、まあ、ありかな、と。

もう少し親切でも良かったんだよ、と思わなくはないですけどね。

シチュエーション・スリラーといえば分水嶺たるCUBE(1997)があまりにも有名ですが、ここ数十年でもっともCUBEに肉薄した作品だったような気はしますね。

処女作でこれだけやれれば上等、といったところでしょうか。

こういう映画を最初に撮っちゃうとあとが大変なのでは・・・と思ったりもしますが、素質の違いは見せつけたように思うんで、次作に期待、ですかね。

集中力が途切れることなく最後(ラスト寸前)まで楽しめたのは確かです。

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