メキシコ 2018
監督、脚本 アルフォンソ・キュアロン
1970年代前半のメキシコシティ、ローマ地区に暮らす白人中流階級の一家とその家政婦を描いた在りし日のドラマ。
監督の半自叙伝的映画らしいんですけど、さしずめ4人いる幼い兄弟のどれか一人が監督であるキュアロン本人を投影したもの、なんでしょう。
Netflixオリジナル映画ながらアカデミー3部門を受賞するという快挙を成し遂げた作品ですが、はっきりいってものすごく地味です。
家族のささやかな日常を淡々と追っていくだけで、開始30分ぐらいまでは「ほとんどなにも起こらない」と言っていいでしょう。
私なんざ予告編の「床に水が流れるシーン」は犬の糞を洗い流すためだったのかよ!といささか呆れてしまったほど。
どういう皮肉?暗喩?なんだこれ。
わからん。
なんだか低予算のインディ映画を見てるような気分にさせるなあ、とは思いました。
あまりに商業性皆無なものだから誰も出資してくれなかった、みたいな。
ただ、派手さ皆無とはいえ、そこはキュアロンですんで。
多くの方が絶賛しておられるように、映像の美しさは半端じゃなかったですね。
ワンシーン、ワンシーンが絵画のよう・・・とまでは思いませんでしたが、モノクロとは思えぬつややかな質感があるんですよ。
専門的なことはわからないんですが、解像度が恐ろしく高い、と思ったのは確か。
なんら突飛なことはやってないし、基本に忠実な撮り方だと思うんですけど、市民ケーン(1941)かよ!(古い話ですまぬ)と言いたくなるようなパン・フォーカスの駆使が退屈さをかろうじて駆逐していたような気がします。
割と長回しが多いんですけどね、映像の情報量が多いものだからじーっと見てられるんですよね。
ようやく物語が動き出すのは中盤以降。
けれど突然降って湧いたトラブルが、なんらかの着地点を見出して収まるべき場所に収まる、というわけではない。
投げっぱなし、といえば投げっぱなしでしょうね。
もう本当に日常の断片を粛々と紡いでいっただけ、というか。
そりゃこんなのNetflixしか出資せんわ、と言ってしまえばそれまで。
ただね、こういう映画って、マーベルコミックやヒット作の続編製作に躍起になってるハリウッドじゃ、ほぼ企画は通らないだろうなあ、と思うんです。
映画の多様性、可能性を見失わない意味では、この作品がNetflixによって多くの人に注目された功績は大きい。
滅茶苦茶面白かった、ってわけでは決してないですよ、でも、こういう映画が発表の機会を失ってしまう業界って、いずれはビデオゲームに駆逐されてしまうんじゃないか?同人趣味に落ちぶれてしまうんじゃないか?と私は危惧するんですよね。
この散漫さ(悪い意味ではなく)で、海辺のあのシーンを撮れてしまう監督の力量に舌を巻いた、というのもありますし、そういう発見って、わかりやすい正義感を振りかざすヒーローアクションにはないものだと思うんです。
多くの人におすすめできる作品ではない、と思いますが、見れる環境にあるなら見ておいたほうがいい。
そんな一作でしたね。
ちなみに役者は全員素人で台本はあってないようなものだったらしいんですが、それでよくぞここまで練り上げてきたものだなあ、と。
ゼロ・グラビティ(2013)やトゥモロー・ワールド(2006)を期待しちゃいけませんけどね、監督としての手腕は全く衰えてないばかりかまさにプロの仕事と呼べるものだったのは間違いないですね。