手天童子
1976年初出

初読時はこういうスタイルの伝奇SFなんてそのカテゴリーすら知らない子供だったので、ただもうひたすら圧倒された、ってのが正直な感想ですね。
迫力に満ちた「鬼」の作画も衝撃的でした。
鬼の絵を見て怖い、と思ったのは後にも先にもこの作品だけ。
デビルマンの鬼気迫るタッチもすごかったですが、本作において、異形を描写する永井豪の圧倒的作画力はひとつの頂点を見たように思います。
しかもこの作品、伝奇ものかと油断させておいて途中から突然宇宙SFになったりするんですよね。
最読時「タキオン」などという疑似科学的SF用語まで使われているのを発見してびっくり。
大江山の鬼を考察するかのような出発点から、やがて鬼そのものが宇宙空間で争う、なんて展開をやらかした漫画なんて本作だけだと思います。
なんてシーンを創造するんだ、とその発想のとんでもなさ、意外性に満ちた予測不可なストーリーに驚愕。
一体これどうするつもりなんだ、とエンディングへの期待はとんでもなく熱いものに。
ところがです。
ところがこの作品、えーなにそれ?!といいたくなるようなありえないラストシーンが待ち受けてたりするんです。
さて、色んなご意見はあろうかと思うんですが、私、結論から言いますと、このオチはないだろう、と激昂した人だったりします。
ここまで風呂敷を広げておきながらこの着地点かよ!と心底脱力したあの日、あの時。
こりゃすごい漫画だ、と思っていただけにその反動たるや、半端なものじゃなし。
やっぱりね、これって夢オチと同じだと思うんですね。
じゃないと矛盾を消化できない。
ああ、どうしてもまとめられなかったんだろうなあ、と。
振り返ってみれば、ここが永井SFの最後の輝きだったかも、と思ったりします。
少なくともラストシーンまでは前人未到の伝奇バイオレンスであり、SFだった。
すごく好きな漫画なんだけど、反面、なんでこうなっちゃうんだよ、という気持ちが抑えきれない愛憎同居したシリーズですね、私にとって。
怒涛の大作だが、賛否両論、論議の的になりそうな最終回、オススメするべきなのか、やめておけ、と言うべきなのか、なんとも言葉がありません。
へんちんポコイダー
1976年初出

実は永井豪という突出した才能のK点はここにあったのではないか、と思える横紙破りな怪作。
テレビマガジンに連載された幼年向きの変身ヒーローものなんですが、半端じゃなく狂ってます。
なんせ主人公は「へんちん」の掛け声とともに、チンポコを高速回転させてポコイダーに変化するのだ。
必殺技は弾丸ポコチンアタックにきりもみポコイダーキック。
いまだかつて、チンポコやウンコやおしっこが大好きな子供の幼な心にここまで切実に訴えかけたマンガがあっただろうか。
いやあろうはずがない。
ナンセンスを超えた下ネタと変身ヒーローの合体。
これぞ子供マンガの金字塔。
大人が読んでも抱腹絶倒。
続編的作品にへんきんタマイダー があり。
こちらも神がかって必読。
突き抜けてます。
誰にもこんな漫画、描けやしねえぞ!降参っ!
スペオペ宙学
1978年初出

当時この作品が「うる星やつら」と同時に少年サンデーで新連載開始、ってのがつくづくすごい話だなあ、と。
80年代を目前に、劇的に変化していった漫画文化の過渡期に思いを巡らせざるをえません。
内容は作者お得意のお色気学園コメディなんですが、78年公開されたスターウォーズの影響も如実に宇宙時代の中学生が主人公。
学校は人工衛星で通学は宇宙船ときた。
しかもヒロインの名前は竜子スカイウォーカーだったりする。
スケールだけはやたらでかいんですが、やってることは基本これまでと同じ。
パンクSFなどと言われてますが、それほど過激な何かがあるわけでもないです。
パロディみたいなものですしね。
ラブコメ路線、オタク文化路線を突き進みつつあった当時のサンデー掲載作品として考えると、やはりどうしたって幼いし、いささか古くみえたのでは?思ったりもします。
作中のアガゾスいじめもキッカイくんのじじいいじめと同じ笑いですし。
らしい作品ですが、なにか意味ありげな最終回が印象的なだけで作者の作品の中でもさほど突出しているとは思えません。
ファン向けでしょうね。
花平バズーカ
1979年初出

あの永井豪が小池一夫を原作に迎える?というだけで当時はえっ?って感じではありました。
他の漫画家が逆立ちしても描けない様な名作をいくつも生み出してきた人が、なぜいまさら小池劇画?と脳内にはてなマークがいくつも飛び交った。
それ以前にお互い噛み合わないんじゃあ・・・・、とも私は思ったんですが、結局それなりに人気を博し、作品は全10巻を刊行。
まあでも昔からのファンにとって、これは永井豪の漫画ではない、という人も多いのではないでしょうか。
やっぱりこの作品って、絵柄が永井豪なだけで、内容は揺らぐことなく小池一夫なんですよね。
むしろ永井豪の絵であることに違和感を覚えるほど。
この内容なら別に芳谷圭児とか叶精作とかでも良かったのではないか、思います。
というか微妙に「魔物語愛しのベティ」とかぶってないか、と。
最後まで読んでないので断言はできませんが。
永井豪が本格的に青年誌に活躍の場を移したのが本作であり「青春一番」に続く作品だった、と記憶してるんですが、なにが劇的に変わったか、というと、これまで寸止めのエロスで少年読者を釘付けにしてきた人が、正面からセックスそのものを描くようになったことだと私は思います。
永井作品と性は切り離せないものがあるのはまちがいないんですが、ノリや絵柄は変わらないまま即物的な性描写、ってこの作品以前はありませんでしたし、そこにどうしてもぎょっ、とするものを感じてしまう、というのはありました。
いや、暗喩するものとしてとんでもない性の深遠をこれまで行間に含ませてきた漫画家なのは間違いないんですが、それがまるで別物であるかのようにいきなり露骨にやられちゃうとですね、何故今更あなたがそれをしなけりゃならないのだ?とどうしても思っちゃう。
いうなればこれまでパンチラで100万語の語りかけをしてきたグラビアアイドルがですね、いきなりオールヌードで無修正を披露して全部見せちゃったことで、なんだこんなものか、と幻想が砕かれてしまった、とでもいうか。
余計わかりにくいし、ちょっと意味的に違うか、すいません。
本当にエロチックで、思わず食い入るように見ちゃう女性の絵を描く人は他にたくさん居ると思うんです。
でも永井豪はエッチであっても、性欲そのものを描いて煽るような漫画家ではなかった、と私は認識してるんです。
どうにも私にはしっくりこない作品ですね。
小池一夫の計画的なストーリーテリングと作者の資質が合致してない、とも感じました。
なにかと問題作、と思うのは私だけでしょうか。
凄ノ王
1979年初出

今更超能力ネタ?と個人的には連載当初から幾分醒めた気持ちで対していたのは確か。
79年といえど、サイキックなアプローチのあれこれがすでに手垢な印象はどこかあったように思うんです。
バビル二世を経て、超人ロックや地球へ等、優れた既出の作品が話題になったあとでしたしね。
なんとなく惰性で読んでいた部分は否定できないんですが、それも物語後半にさしかかって少し印象が変わる。
どうやら日本書紀、古事記が作品のモチーフになっているようなんですね。
これはひょっとして意外なところに着地するかも、と、ドキドキしながら見守っていたんですが、これから、ってところであっけなく未完。
脱力。
永井豪本人は未完は当初からの計画だった、みたいな事を言ってましたが、だったら青沼みたいなキャラを最後に出して含みを持たせるようなことはしないだろう、と私は思います。
その後、角川書店から続編が発売になりましたが、どこか別物な印象。
永井泰宇が原作をノベライズした「凄ノ王伝説」の影響なんかもかなりはいっているようで、らしからぬ展開が続いてこれまた途中で未完。
さらにその後講談社から超完全完結版と銘うって角川版にページを追加した再編集版が刊行され、やっと終わったらしいんですが、これはもう読んでません。
結局のところ、物語の行き着く先を決めず、見切り発車で連載を続ける永井豪の執筆のやり方が加齢とともについに限界、破綻した、ということなのだと思います。
ハレンチ学園で吹きこぼれた、社会に対する憎悪、カタストロフへと至る怨念みたいなものが枯れた、という事なのかもしれません。
私にとっては稀代の天才の終焉を彩る一作。
余談ですが、少年誌で臆すことなくヒロインのレイプシーンを描ききったのはこの凄ノ王が初めてだったかもしれません。
それをどうとらえるべきなのか、答えは出てないんですが、それが作者の何を変えたかは、また別のページで書きたいと思います。
黒の獅士
1978年初出

戦国時代、伊賀百地の里に天才少年忍者としてうまれた獅子丸の激動の半生を描いたSFアクション時代劇。
あとがきで永井豪は自分なりの山田風太郎をやってみたかった、みたいな事を書いてますが、ああ、なるほど、と納得。
超人、奇人がありえない忍法の応酬でみたこともない戦術絵巻を繰り広げるのが風太郎忍法帳だとするなら、そこにSFをぶちこむ、というのはやり方として作者の資質に沿っているし、正しい、と思う。
時代劇でロボットの首が火を噴いて空を飛ぶ、なんて絵は当時永井豪にしかできなかった、と思いますし、そこからさらにスケールを広げて、宇宙規模の侵略者戦争にまでストーリーが及んだのはさすがの一言。
まさかこういう展開になるとは思ってなかった、というのはありました。
なんとなく石川賢の虚無戦記に通ずるものがあるなあ、なんて思ったりも。
ただですね、プロットの壮大さには感心させられるものの、それを支えるドラマ作りが若干弱い。
戦いのための戦いの描写だけで終始してしまった印象がどこかあるんです。
少なくとも獅子丸とお夕の惜別の物語はもう少し上手に最後まで引っ張ることができたのでは、と思います。
戦国時代の風景に庶民が全く出てこないのも少しひっかかりましたし。
戦国大名と忍者しか登場してこないんでね、どこかリアリティがないんです。
文化とか風俗に一切触れられることがないんで、絵空事を支える基盤となるものがいささか貧弱なんですね。
アイディアは良かったが、作り込みに欠ける、というのが正直な感想でしょうか。
色々惜しいな、と思う一作。
銅磨陣内なんて滅茶苦茶いいキャラなんですけどね。
SF時代劇の先鞭となった、という意味では評価されてしかるべきかもしれません。
新デビルマン
1979年初出

続編ではなく、デビルマンの番外編的作品なんですが、かの名作に挿話、裏話的ものなどあるはずもなく、はっきりいって無理矢理です。
飛鳥了と不動明が時間の狭間に紛れ込んだデーモンを追って、過去にさかのぼりデーモンを退治する、という内容なんですが、フランス革命の時代に飛んだり、古代ギリシャに飛んだりと、もう滅茶苦茶。
なにがやりたかったのか、よくわかりません。
なにがしかのニーズはあったのだろう、と思いますが、デビルマンの緊張感、凄まじさを期待すると腰砕けになります。
熱心なファン向きですね。
これといってどうこう言うような作品でもなし。
まぼろしパンティ
1980年初出

タイトルは「まぼろし探偵(桑田次郎)」のもじりらしいですが、そもそもまぼろし探偵なんてその当時ですら知ってる少年読者はいなかったと思う。
けっこう仮面の姉妹品、と考えて大丈夫でしょう。
毎回敵役に当時の人気漫画のキャラが出てくるのも同じですし。
それにしても、まぼろしパンティのキャラデザインが凄まじいです。
なんかもう変態仮面の上を行くのでは、という気すらします。
というか、軽く頭おかしいレベル。
ま、格別どうこう言うほどの内容でもなんですが、とりあえずスリキチ三平というパンティドロが登場する回は幼な心にひどい、と思いましたね。
矢口高雄は訴えていいと思う。
けっこう仮面も脇役で登場します。
結局、けっこう仮面ほど人気はふるわなかったみたいですが、今でも根強いファンはいるよう。
しかしこの作品のどこに原作の必要が?と今でも疑問(原作、高円寺博。今調べたら永井豪の兄貴だった。兄弟でなに描いてんだ)。
永井豪のエッチな路線のギャグマンガとしては最後の作品かもしれません。
まいるど7
1981年初出

タイトルは言わずと知れた「ワイルド7」のもじり。
あばしり一家をもう一度、ってな内容なんですが、これがどうも冴えない。
お色気コメディでバイオレンスもあり、ってな従来の作風が80年代と言う時代にそぐわなくなった、というのはあったと思います。
どう考えてもあばしり一家の方がおもしろい、ってのも確かですし。
当時は、作者のちょっとエッチなコメディ自体が、読者のニーズから大きくズレてしまったような印象を受けましたね。
まだこんなことやってるのか?みたいな。
それこそ一夜明けたらもうみんな変わってた、ぐらいの勢いで。
今改めて読むと「家族」をテーマにしたアクションやサスペンスって、昨今のハリウッドが好んで映画化してますから、それほど古いとも思わないのですが、やっぱり時代が悪かったんでしょうね。
どんどん漫画自体がスタイリッシュに、垢抜けしたものに変わろうとしていた頃でしたし。
残念ながら、どちらかといえばファン向けでしょうね。
バイオレンスジャック(漫画ゴラク版)
1983年初出

どういう経緯で未完のバイオレンスジャックの続編を、漫画ゴラクなどというギャンブルと女にまみれて酒焼けしたような青年漫画誌で連載することになったのか、さっぱりわからないんですが、勝手な想像ながら、永井SFをやらせてくれる媒体がもうなかった、ってことなのだと思います。
凄ノ王連載終了後、新作は全部短命に終わってるんですね。
当時、永井豪はもうダメだ、という空気がなんとなく漂っていた気がするんです。
実際連載内容も永井豪の過去作のいろんなキャラが次々と登場する集大成的印象を与えるものでしたしね。
ここで漫画家生活を終わらせるつもりがあったのかもしれません。
わかりませんけど。
連載を追っていて、単純に、次はどんな過去作のどんなキャラが登場するんだろう、という楽しみは間違いなくありました。
あのバイオレンスジャックの続きが読める、という喜びもありましたし。
ただですね、そこに腐心しすぎた、というのは否定できない、と思うんです。
やっぱりね、どう考えても「ドロロンえん魔くん」や「マジンガーZ」がバイオレンスジャックの世界観にそぐうはずもないわけであって。
無理矢理登場させたことで滑稽で陳腐になっちゃってる回がいくつかあるんですね。
掲載雑誌の性格によるものかもしれませんが、必要以上にエロを前面に押し出してるのも気になりました。
花平バズーカのページでも書きましたが、絵柄の変わらぬまま即物的なセックスそのものを、しかも過去作のキャラで描かれちゃったりするとですね、 どうしたって強い忌避感を抱かざるを得ない。
で、最大の問題点は「拓馬竜が荒れ果てた荒野でどう生き抜いていくか」がテーマの物語だったはずなのに、いつのまにかジャックとスラムキングの物語にすり替わっちゃってたこと。
拓馬の生き様をきっちり描いてこそのジャックの正体、だったと思うんです。
それが完全に失念されてるんですよね。
賛否両論、話題になった最終回も、私にとっては、前述した「欠落」が気がかりなままでしたので、ああ、やっちゃった・・・程度の感慨しか抱けぬものでした。
ジャックであって、これはジャックでない、と言うのが私の結論。
唯一、これは素晴らしい出来だ、と思ったのが凄ノ王の主人公、朱紗真吾が登場する回で、これを凄ノ王の最終回にすればよかったのに、なんて思ったりもしました。
かつて少年マガジンで連載されたバイオレンスジャックこそがすべて。
私の中でジャックの物語は未完のままです。
*画像をクリックするとAmazonの販売ページへと飛びます。永井豪の作品はほぼ電子書籍化されていません(2025年現在)

