1970~80年代の永井豪、24作品

あにまるケダマン
1972年初出

少年サンデーに連載された学園ドタバタギャグ。 
この頃量産された一連のギャグ作品の流れを汲む作風で、ハレンチ学園からあばしり一家と至る路線の過渡期にある内容、といった印象。
 そこそこにエッチでそこそこに暴力的でそこそこに人外の怪物が活躍。
中途半端といえば中途半端なんですけど、これが意外とそんなに悪くない。
特に薬局のおねえちゃんとその弟のキャラが最高で「おねえたん」「おとうとたん」のかけあい漫才には爆笑しました。
デビルマンの執筆に集中するために、人気を博すも、途中で強引に最終回。 
そのため、どうしたって目立たない一作ではあるんですが、私はなんだか好きですね、この漫画。
なんと言えばいいのか、わけのわからない勢いがあります、うん。
作者が一番ほとばしってた頃の作品、って印象ですね。


オモライくん
1972年初出

最初は、なんだこりゃとりいかずよしの「トイレット博士 」か!?とあまりの汚さに驚愕したんですが、不潔で飯時に読めないのが共通しているだけで、描こうとしている事はまるで違うことに途中で気づく。解説で筒井さんも言及しているんですが、徹底した自己差別の末の全肯定が確かにこりゃ思想と言えるかもしれません。
そこがジャンプイズムを後に作り上げたトイレット博士とは違う点。
ある種天才バカボンにも通底するか、と思ったり。
しかしまあ、主人公のオモライくん、乞食なのに学校へ行く、というのもよくわからない設定なんですが、教室の隅にゴザをひいて授業を受ける、という絵ズラもこれまた凄い。
おなじみ学園ドタバタギャグながらどこか感触が違う。
なんといいますか、ドブ泥の中での悟りみたいなものがあるというか。 
私が衝撃を受けたのは最終回。
下水道での水泳を楽しんだ後、主人公オモライくんは自らの悲運な出自を知ったにもかかわらず、ある言葉をコジじいに告げるんですね。
いや、どう考えてもそこはそのセリフじゃないだろう、と。
なんだこれ、なんでこんな吐き気を催しそうになる薄汚い漫画で私は胸が熱くなってるんだろう、と自分の感情をもてあまし、ドギマギしました。 
ああ、そういう生き方もあるのだ、と。
それが是か否かは別にして、これも価値観、哲学のひとつなのだ、と目を見開かされた気はしましたね。
デビルマン以降の永井豪には存在しない、この時代だけの傑作。
永井ギャグの金字塔と呼んで差し支えないかもしれません。


マジンガーZ
1972年初出

ロボットアニメの歴史を変えた画期的なシリーズなわけですが、はっきりいって漫画の方は他愛ないというか描き殴りというか、適当です。
そもそも東映動画との企画で生まれた作品であり、作者も、今で言うところのメディアミックス、と割り切ってやっていたような節があり。 
また過去流通していた単行本の多くはテレビマガジン連載版に少年ジャンプ連載版を切り貼りしたものであるらしく、それがまたさらに購読意欲をなえさせる、といいますか・・・。
まあそれを私は買って読んでたわけですけど。
やっと近年になって、復刊ドットコムから完全版やら講談社文庫オリジナル版が出ましたが、私は未読。
今更言われても、って感じだ。 
なにがどう完全版なのかさっぱりわからないんで、興味ある人は激マン、マジンガーz編でもお読みになるのがよいかと。
私はもういい。
マジンガーZはアニメで、がやはり正解でしょう。
阿修羅男爵の薄気味悪いデザインや、ロボットに直接人が乗り込む、というアイディアは斬新だったと思いますが、それと漫画そのものの評価はまた別でしょうね。


デビルマン
1972年初出

文句のつけようがない歴史的傑作。 
そりゃね、大人の目線で見れば、中盤やや中だるみとか、伏線の貼り方がわかりやすすぎてほとんどネタバレとか、色々ツッコミどころはあるんですが、72年にこれが少年マガジンで掲載されていたという事実を鑑みれば、つまんない揚げ足取りをしようとする自分をむしろ恥じたくなる、というもの。 
永井豪の最高傑作であり、漫画におけるSFバイオレンスのある種の到達点といって良いでしょうね。 
類する作品は数多くあれど、いまだにデビルマン以降というくびきから逃れることは出来ていないように思う。
それほどまでに衝撃的な作品だった、と言うこと。
特にエンディングの凄まじさときたらもう、トラウマもの。
私が初めてこの作品を読んだのは高校生の時でしたが、それでも愕然とした。
わなわなと手が震えた。 
なんだこれ、と茫然自失。
まあ、少年誌に書いて良いような内容ではないです、間違いなく。 
近年の永井豪しか知らない人は信じられないでしょうが、70年代の氏はこの作品を先鞭として、凶暴としかいいようのない悪鬼的作画と怨念渦巻く内容で、進化する漫画表現の最前線にいた。
愛憎渦巻くドラマを、悪魔が織り成すハルマゲドンの渦中に描いた天才の至高の一品


魔王ダンテ(昭和版)
1971年初出

プレデビルマン、と言っていい内容。
神と悪魔の最終戦争を逆転の構図で描いた作品で、ああ、作者のシリアスなSFバイオレンスの路線はここから発展していったんだ、と言うのが手にとるようにわかります。 
この手の設定、プロットを拝借した漫画作品は、以降、恐ろしい数が雨後の竹の子状態で繁殖していったように思います。
そういう意味では嚆矢たる作品、と言えるかも知れません。
ただ、掲載誌「ぼくらマガジン」が連載半ばで休刊したため、未完なんですね。
いや、別にこれはこれで終わってるのでは、と思わなくもないのですが。
後年、この作品は同タイトルでセリフリメイクされており、 描ききれなかった部分はそちらで補完されている、と考えていいでしょう。
似たテーマ、プロットを掲げる作品として、どうしたってデビルマンよりは見劣りするんですが、デビルマンにはないものが本作にはひとつだけあって、それが読みどころ、と言えるかもしれません。
詳しく書くとネタバレになっちゃうんで控えますが、実は先住権の争いの物語であり、根底にあるのは人間そのものに対する恐ろしく根深い憎悪なのでは、と私は思ったりしました。
ラストシーン、薄ら寒いです。
バッドエンドとか、そういうのとまた別次元で人に救いが用意されてません。
なんとなくやりすごされてるようにも思うんですが、一皮剥けば結構な問題作、といっていいのでは、という気もします。 
開花前夜の一作。


ガクエン退屈男
1970年初出

「旗本退屈男」のパロディか?それともオマージュか?と勘違いしちゃいそうなタイトルですが、内容的にはほぼ無関係。
学生運動をモチーフに、教師と学生の血みどろの殺し合いをマカロニウエスタン風に描いた作品。
ハレンチ学園における「ハレンチ大戦争」の回、高校生(中学生?)版、といったところでしょうか。
前半はただもうひたすらバイオレンスで、殺し屋まがいの先生と権力闘争をくりひろげる学生ゲリラの図式が続くんですが、後半、身堂竜馬の出生の秘密に焦点が当てられ、突然戦いに意味づけがなされます。
あ、ここからどうなるんだろう、ちょっとおもしろくなってきた、って感じだったんですが、さあこれから、と言うところで突然終了。
どうも打ち切りっぽい。
作者がこれ以上描けなくなった、ってことなのかもしれませんが。
わかりません。
それともこの作品もデビルマン連載のため、整理された作品の内のひとつなのかなあ?
ただ永井豪は本作で登場した早乙女門土と身堂竜馬のキャラがお気に入りだったようで、その後の作品にもこの二人はちょくちょく登場します。
結局、それ以上の価値はこの作品には見出せない、というのが正直なところでしょうか。
続いていたらどうなったんだろう、とあれこれ想像してみたりはするんですが、顔見せ以上の何かは現状では見出せないですね。
おなじみの永井キャラに興味のあるファン向け、ですね。


ズバ蛮
1971年初出

ズババン!って、擬音をそのままタイトルにしてしまうあたり、大丈夫か?と不安になったりもするもするのですが、これが意外によく出来た秀作。
戦国時代、大人顔負けの怪力無双少年ズバ蛮のもとに集まったジャンヌダルク、関張飛ら歴史上の有名人物が織田信長と国取り合戦を繰り広げる様を描いたSF時代劇。
再読してみて思ったんですが、歴史上の有名人物が集まって事を起こす、ってプロット、そういや近年流行してたな、と。
きちんと調べたわけではないので自信はないのですが、先鞭をつけた作品、と考えていいかもしれません。
物語のキーマンはジャンヌダルク。
なぜフランスで火あぶりにされたはずの革命の旗頭が日本の戦国時代に居るのか。
終盤、ストーリーはジャンヌダルクを中心に、あっ、と驚く展開を見せます。
このあたりのひっくり返し方は永井豪ならでは。
コンパクトによくまとまった作品だと思います。
あちこち手を入れれば現代でも通用しそう、と思える優れた仮想戦国絵巻だと思いますね。
意外性の手綱さばきが上手。


永井豪SF傑作集
1971年~初出

永井豪のSF系の短編を集めた作品集。
以前、B6版全8巻で発売になってましたが、私が購入したのはそこから新デビルマンやスペオペ宙学の短編等を省いたA5版全4巻。
SF、と銘うたれてますが、雑多な内容です。
半分ぐらいはギャグ。
手天童子のプロトタイプと思われる短編もあり。
やはり必読は「真夜中の戦士」であり、かの有名な「ススムちゃん大ショック」でしょうね。
特に後者は、誰も疑念を抱くことなどありえない「あたりまえ」をひっくり返した大傑作。
ラストシーンの突き放し方は尋常じゃありません。
前者は高評価を受けて後に「その後」が描かれたんですが、これははっきり言って凡作。
A5版には「その後」も収録されてるんですが、本来は83ページまでの短編だった、と思って読むのが良。
他にも「くずれる」や「蟲」など、無視できない力作あり。
長編作家の認識が強い漫画家だと思いますが、短編でもこれほどのものを描くんだ、と当時私は震撼しましたね。
ファンなら必読でしょう。


バイオレンスジャック(少年マガジン版)
1973年初出

デビルマンに勝るとも劣らぬ大傑作、と言いたいところなんですが、当時少年マガジンで連載されたこのシリーズは残念ながら未完。
人気が伸び悩んだ、みたいな話をどこかで目にしたような気もするんですが、あまり記憶に自信はありません。
いやもうね、半端じゃなくおもしろいです。
人気が出ないって、当時の読者はバカなのか、って言うぐらいおもしろい。
このテンションのまま最後まで突っ走って欲しかった、とつくづく思います。
今でこそ荒廃した弱肉強食の未来図を描いた作品は多いですが、漫画で初めてそれをやったのは間違いなくこのバイオレンスジャック。
巨大地震により、壊滅の憂き目をみた関東平野を舞台に、何とか生き抜いていこうとする人々のサバイバルを描いたSFドラマなんですが、もうね、マッドマックスなんて目じゃありません。
1巻の緊迫感なんて、ハリウッドが裸足で逃げ出すほど。
また登場キャラが絵も造形もすごいんです。
刃渡り20センチの巨大なジャックナイフを持つ2メートルの大男バイオレンスジャックに、鎧を着ていないと自らのの筋肉の締め付けで自死してしまうスラムキング、 どうやってこんなキャラを考えついたんだ、と唖然とするほど。
子供心には人犬も衝撃的でした。
目を背けたくなるほど残虐なのに、目を離す事ができない。
こんなの読んでたら親にしかられるのでは、とすら思った。
このシリーズが画期的だったのは、バイオレンスジャックもスラムキングも主役ではなく、実は突然荒野に投げ出された1人の少年が絶望の淵から生き残りを誓う物語であった点でしょうね。
70年代に、読者と近しい等身大の少年が無力さを噛みしめながら戦おうとするストーリーって、他には漂流教室ぐらいしかなかったのでは、という気がします。
ジャックとは結局何者なのか、そして主人公、拓馬竜は生き抜くことが出来るのか、後年漫画ゴラクで連載された続編ですべては明らかにされますが、私にとってのバイオレンスジャックはやっぱりこの7冊。
もう手がつけられない状態にあった、のりにのっている頃の永井豪の大作。
まずはこの7冊を。


けっこう仮面
1974年初出

いわずと知れた月光仮面のパロディで「頭かくして体隠さず」の奇抜なコスチュームが青少年の劣情を直撃したお色気ナンセンスコメディ。
作者の数あるお色気もののなかでも本作は頂点に位置するのでは、と思います。
そもそもの着想がぶっ飛んでるのは確か。
頭巾にオールヌードの戦う少女、って、その絵だけでもすごいんですが、必殺技がおっぴろげジャンプ、やられた敵は、う~ん、もうけっこう、って、あまりにもばかばかしすぎて正気を疑うとはまさにこのこと。
エッチな漫画、数あれど、その誰一人としてここまで奇抜で突き抜けた悪ふざけはやってないと思います。 
また、けっこう仮面はいったい誰なのか?をミステリ風に最後まで明かさなかったシナリオ展開も秀逸。
これがね、予想外な正体にびっくりさせられたりするんですよ。
えっ、そんな漫画だったの?と子供の頃の私は慌てました。
コメディがシリアスさを帯びても良い、と知らなかったものだから。
とはいえ、基本、真面目に語るようなシリーズではなくてエンディングを除けばとことんバカなんですけど、バカも徹すれば輝く明星となったりするんですよね。
いや、私は好きですね。 
こういうこともさらりとやっちゃうから永井豪はほんと、あなどれない。


ドロロンえん魔くん
1973年初出

テレビアニメの企画が先行した上で漫画化を依頼されたのか、まず原作漫画ありきなのか、そのあたりは不明なんですが、読後の印象としてはどうもタイアップっぽい、ってな感じ。
なんだかユルさがマジンガーZやキューティーハニーと似てるんですね。
基本アニメと協調路線なんですが、回を重ねれば重ねるほどお色気コメディ風にお茶を濁しだす流れも2作品と同じ。
アニメは正義感溢れるえん魔くんが妖怪退治に精を出す正統派のオカルト勧善懲悪ものでしたが、漫画に同じものを期待するとしっぺ返しをくらうかも。
ヒロインの雪子姫を脱がせてナンボ、みたいな、作者お得意の艶笑パターンがほとんどなんで、少年時代の思い入れはいったん横に置いて読んだほうがいいです。
永井豪のナンセンスギャグが好きな人は楽しめるかと思いますが、基本それ以上でもそれ以下でもなく、やはり熱心なファン向けかと。
地獄世界が隣接する舞台として設定されてるので、作者が本気でシリアスに描けばもっと評価も高まったのでは、という気もしなくはないんですが、まあこればっかりは今更いかんともしがたい話ではありますね。
作者自身の手によるスピンオフ作品がいくつかありますが、私が斜め読みした感じではそれも特にどうということはなし、というのが本音。


キューティーハニー
1973年初出

東映動画とのメディアミックス作品。
マジンガーZと同じく企画ありき、です。
変身する戦う少女を主人公とした嚆矢たる作品ですが、やはり本作もアニメで見た方がいいように私は思います。
なにかと漫画はフランクで、お色気とギャグが混在、あれこれゆるいです。
今回これを書くにあたって、ハニーが実は人間ではなく空中元素固定装置を埋め込まれたアンドロイドだった、という設定をすっかり失念していて、改めて読み直し「そうだったのか」と愕然としたんですが、アンドロイド故の苦悩や悲劇みたいなものはさほど重要視されておらず、まあ、メカであることを留意するほどのこともない、ってのがどうもねえ。
せっかくのSF的設定、もう少し生かしていただきたかったと思う。
男女問わず絶大な支持を得た作品ですが、漫画の方を読むと、あれ、こんなもの?と拍子抜けする恐れもあるので注意。
のちにSPAでリメイク版が連載されたり、スピンオフっぽい作品が発表されたりと、類似の作品がたくさんありますが、そちらは未読。


イヤハヤ南友
1974年初出

作者お得意の学園ナンセンスコメディ。
学園を支配する二つの財閥の派閥闘争につきあわされる南友くんの、不思議な活躍を描いた作品。
おそらく全く先の展開を考えずに描いたんだろうなあ、と思われる内容で、中盤、お色気路線に走ったかと思えば、終盤は突然日本をも巻き込む大戦争に。
エンディングに、あっ、と驚かされる展開が待ち受けているんですが、なんだかこのオチ、どこかで読んだような気がしなくもありません。
ラストをこういう形で締めくくったのは、あまりに救いのなかったデビルマンへの鎮魂歌的意味合いなのか、それとも実はリンクしてるのか、色々考えちゃったりはするんですが、どこかほのぼのとするものもあって悪くない、と思います。
ただですね、やはり全体を通してどこか散漫だ、と言うのはあるんですね。
特に中盤、手抜きか?ってな按配のイヤハヤ側とハテサテ側の父兄参観日の決闘は全部カットしても良かったと思う。
設定とオチだけに着目すると、どことなくハリウッド映画風で、心温まるピュアファンタジーとか少し不思議なハートウォーミングコメディ、なんて喧伝されてそうだなあ、と考えたりも。
ショッキングな作品が多かったこの時期の永井豪にしては珍しいアプローチかもしれません。
あちこち寄り道せず、もう少し短めにまとめたら優れたSFファンタジーになったかも。


おいら女蛮
1974年初出

ケンカっぱやくて暴れん坊で行く先々の学校で退学処分を突きつけられる悪童女蛮子(すけ ばんじ と読む)が親の間違いで女子として中学校に転入させられ、やむなく女子中学生として学園生活を送るはめになるデタラメな毎日を描いたお色気ナンセンスコメディ。
パンス党とかいうわけのわからんスケバン集団は出てくるわ、主人公、表面上は女であるのをいいことに同級生の乳はもむわさわりまくるわで、もうめちゃくちゃやり放題な作品なんですが、女子の集団に男とばれずにもぐりこめたらいいよなあ、という単純な男子の妄想を形にしていてこれはこれで巧みなプロットだ、と思ったりもしました。
時代が時代なのでどうしてもストーリーは女蛮子が学園で大暴れな方向に行きがちなんですが、男の娘などという倒錯が一部で市民権を得ようとしている昨今、今ならこれ、読む人によってはバイブルになりうるかもしれません。
ただまあ、主人公が女になりたい、と思ってないので、トランスジェンダーな方々の共感は得にくい、とは思いますが。
残念ながら未完。
ひょっとしたらアイディアそのものは恐ろしく時代を先どっていたのかもしれません。
単純にエッチでドタバタで楽しいんですが、なんとなくね、作者自身がこの手のドタバタに「のれてない」ような気も少ししました。
だから終われなかったのかな、なんていうのは穿った見方ですかね。


<2ページ目へ続く>

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