マジンサーガ
1990年初出

マジンガーZをきちんと描き直したい、という作者の意向により、セルフリメイクの形で始まった作品だと記憶してます。
本作ではマジンガーZ自体がすでに巨大ロボットではなく、全身にまとうスーツ型の兵器として再設定されており、舞台も近未来の火星。
しかも敵は謎の火星生命体という、思いのほかガチでSFな内容。
ものすごく気合が入ってる、ってのは実感しました。
画風すら若干変えてきてるんですね。
描き込みの細かさはこれまでの作品の中ではトップクラスかも、とすら思いました。
兜甲児が直情的な正義漢ではなく、どこか中性的できゃしゃな青年、として描かれているのもきちんと当時の読者層をリサーチしているなあ、と感心。
さらに私が驚いたのは、永井豪お得意のカタストロフがいきなり序盤で炸裂していることです。
これまでの永井SF漫画の主人公たちはおおむね自分の感情を爆発させるなり、巻き込まれるかたちで最終的にカタストロフを主導するわけですが、マジンサーガにおいてはその後から物語がスタート。
つまり「どう償うのか」をテーマとした贖罪のストーリーになってるわけなんですね。
正直、凄ノ王以降低迷していた永井豪にしては久しぶりに興味のもてる内容でした。
先の展開が全く読めない、というのもあった。
いったいどう終わらせるつもりなんだろう、とドキドキしながら読んでたんですが、ある日突然あっけなく執筆中断。
そして未完。
もはやなにも言うことはありません。
もしこの作品が完結していたら間違いなく永井豪大復活の狼煙になっていたはずなのに・・・とただただ喪失感。
ここが巨匠最後の輝きだったのかもなあ、などと思う今日この頃。
デビルマンレディ
1997年初出

いや「マン」なのに「レディー」って、おかしいだろ!どっちなんだよ!ってつっこんだ人が全国に何人ぐらい居たのかわかりませんが、何故これをデビルマン・アナザーワンとかデビルマン・ネクストエンドとかダークサイドとか、まあなんでもいいんですけど、他のタイトルに出来なかったのか、と。
誰も止めずに編集部まで容認してしまった、というのが不思議でなりません。
内容はデビルマンにおける主人公を男女入れ替えてもう一度、ってな感じなんですが、やはりですね、デビルマンを読んでいて本を持つ手が震えた少年時代を過ごした人間としては、これは辛いです。
私にとって手塚治虫の火の鳥とデビルマンはほとんど聖域であり、不可侵領域ですんで、たとえ作者本人といえど、そこにうかつに踏み込んできてほしくはないわけです。
たとえそれが焼き直しなりに、よく出来ていたにせよ。
色々辛くて3巻で頓挫。
続きはもういい、ただただしんどい。
私はこの作品を評する言葉を持ちません。
余談ですが、モーニングKC版と文庫版ではエンディングが違うらしいです。
興味のある方は読み比べてみては?
魔王ダンテ(平成版)
2002年初出

70年代、ぼくらマガジンに連載され、雑誌の休刊とともに未完になっていた同タイトルのセルフリメイク。
オリジナル版はプレデビルマンといった趣がありましたが、本作でもそれは同じ。
登場人物こそ増えはしたものの、大筋で設定に大きな改変はなし。
ただやはり時代のせいもあってか、神と悪魔の最終戦争、というテーマ自体が古くさく感じられる、ってのはどうしたってありまして。
特に1巻の展開なんて創意工夫のないRPG並みにありがち。
2~4巻にいたってはほとんど物語の体をなしておらず、故にエンディングもだからどうした、の世界。
手を出すべきではなかった、というのが正直なところでしょう。
永井豪自らが作り上げた世界観の延長であることは間違いないんですが、30年の間にそのフォロワーたちがこの手のジャンルを骨の髄までしゃぶりつくしてしまった感があり、結果オリジネイターの登場もかすんでしまった、というのが実状じゃないですかね。
ま、シンプルに、ダンピングするのもいい加減にしろ、という話なのかもしれませんけどね。
精緻に描かれたダンテの造形だけは昭和版より迫力があって良い、と思いました。
*画像をクリックするとAmazonの販売ページへと飛びます。永井豪の作品はほぼ電子書籍化されていません(2025年現在)