1970 アメリカ/メキシコ
監督、脚本 アレハンドロ・ホドロフスキー

カルト的人気を誇った変な西部劇。
いわゆる有名どころや、西部劇ファンがイメージするどのウエスタンとも違っていることは確かです。
数十年前、初めてみたときは正直意味がわかりませんでしたね。
全く前後が繋がらない気がした。
今回改めて見てみて、この映画の意味がわからんとか、かなり俺は馬鹿だったんだなあ、と思ったんですけど、まあ、惑わされる気持ちもわからなくはないかな、と。
なんせホドロフスキーですからね(当時はなんの予備知識もなかったですし)。
物語を構成するひとつひとつのシークエンスがストーリーの外側にある、なんてことはザラで。
おいちょっとまて、今の場面、なんだったんだよ、意味わからんぞ???と混乱すること数度。
変に皮肉ばかりが際立っていて。
だからといってストーリー不在の前衛なのか?というとそうではなく。
きちんと大筋は存在するんです。
ただ寄り道が多いだけ。
そのあたり、同監督のホーリー・マウンテン(1973)を見た人なら手口はわかってもらえると思います。
やってることはあんまり変わってないです。
むしろこちらのほうがまだわかりやすいかもしれない(ホーリー・マウンテンと比べるなら、ですけど)。
描かれているのは、手段を選ばず最強を志したガンマンの贖罪。
過分に東洋的思想にかぶれているような気がしなくもない。
物語の後半なんて、お前はいったいどこの国の高僧なんだ、ってな自己献身ぶりだったりしますしね。
地方に伝わる伝承にこういうお話なかったか?みたいな。
ま、ラストをあんな風に、アイロニックな結びにしてしまうのがホドロフスキーらしいといえばらしいんですけど。
もう全然救いがないんですけどね、それがあまり悲壮に感じられず、どこか儀式のように見えるのが監督ならではかもしれない。
本当は混沌とエログロの渦中に、なけなしの美しさを見出したかったんでしょうけど、いやそれはやっぱり無理だな、と自分で否定してこうなっちゃった気がしますね。
ジョン・レノンがこの作品を気にいって興行権を買い取った話は有名ですが、今振り返るなら「そこまでの出来か?」という気もしなくはないですね。
当時はアンディ・ウォーホールや寺山修司もはまって、その手の人達の間でたいそう話題になったらしいですが、70年代だからこそ、と思ったりもします。
個人的にはホーリー・マウンテンの方がぶっ飛んでて好きかな。
とりあえず、血のりがあまりに赤インク丸出しとか、安っぽい部分も多々あるんでね、あんまり構えずに見ても全然大丈夫なように思います。
今、こういう作品ってなかなか作れないと思うんで、映画が自由な空気を孕んでいた時代の残滓を追体験するには絶好かもしれませんね。