バッファロー’66

1998 アメリカ
監督 ヴィンセント・ギャロ
脚本 ヴィンセント・ギャロ、アリソン・バグノール

無実の罪で収監された男の、出所後の迷走ぶりを描いた青春?恋愛?映画。

前科者の更生がテーマなのかな?とあらすじだけを読んでたら勘違いしそうですが、実は刑務所云々はあんまり重要ではなくて。

むしろ焦点は、なぜ主人公は人の罪を被って刑務所に入る羽目になったのか?にあたっており。

早い話が不器用で、要領が悪く、あんまり頭も良くないんですね、主人公。

無軌道な行動ぶりを見てると、今で言う発達障害っぽいところもあるなあ、と思ったりもする。

それは序盤の、小用を済ませるために便所へいくだけのことに、何時間もかかる愚鈍さに表れていて。

で、そんなダメ男を放っておけない、保護欲がかきたてられてしまう女性ってのがこの世には一定数居てですね。

物語は、何をやってもうまくいかない主人公と、そんな主人公に少しづつ惹かれていく女の関係性の変化が主筋として描かれてまして。

で、主人公ビリーに惹かれる女なんですけど、はっきり言ってこの人、ダメ男好きなだけでなく、相当に変わってます。

だってね、出会いはビリーによる拉致なんですよ。

しかもいきなり「花嫁役をやれ」との無理難題。

普通は通報か、隙を見て逃げるだろうと。

それがだんだん好きになっちゃうってんだから、とんでもないドМネキの吊り橋効果としか思えんわけで。

しかもビリーが粗暴な割にはとんでもない奥手でして。

見てて「おまえ、責任持ってちゃんと抱いてやれよ!」って、マジでやきもきした。

いい年して完全にBOY MEETS GIRLな状態なんですよ。

つまり、この二人の恋模様って、全くもって普通じゃないんですよね。

ビリーは両親とうまくいってない分、とにかく愛されたい。

女は、人を拉致するようなクズのチンピラを好きになる得体のしれないメンヘラ。

どこにどう共感しろと?ってな話だったりするんですが、これが日本上陸時はミニシアターを中心に大ヒット、34週にも渡って公開されたってんだから、あー当時からすでに日本は病んでたのか、と。

私の感覚ではこの映画を好きになる人、熱狂した人って、新世紀エヴァンゲリオン(1995~)とシンクロしてた層とかぶってる気がしますね。

肯定してくれるんですよね、ダメでいいじゃないか、このままでいいじゃないか僕たちは、って。

私はこの頃すでにいい大人で、日々ドブの中這いずり回ってたから、これはファンタジーだよなあ、って考えるまでもなく感づいてしまったものだから。

なので当時もたいして熱狂しなかったんですが、今回改めて見てもあんまり感想が変わることはなかったですね。

ただヴィンセント・ギャロの存在感というかカリスマ性がこの映画の格を数段上に押し上げていることは確か。

ウィンドウズでソフトを起動させてるみたいな風の回想シーンの演出や、食卓風景の独特なカメラーワーク等、野心的な試みもよし。

クリスティーナ・リッチがやたらとエロかわいくてノックアウトされた男性視聴者も大勢いたことでしょう(土偶みたいな体型ではあるが)。

登場人物のキャラクターも含め、役者陣の演技が印象深いものであったことがこの作品を多くの人たちの記憶に残る一作にした気がします。

そりゃね、ヴィンセント・ギャロみたいなワイルドな男前に「どう生きればいいのかわからない」と涙ながらに独白されたらぐっときますよ。

私ですら、意味なく「うんうんそうだよね~」と目頭を押さえそうになった。

危ない危ない。

そういう映画ってことですよ(どういう映画だ)。

今見ても、はまる人は猛烈にはまるかもしれません。

多分ギャロはもう映画撮らないと思うんで、ミュージシャンとしての彼しか知らない人とか、一度見てみるのもいいかも。

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