オーロラの彼方へ

アメリカ 2000
監督 グレゴリー・ホブリット
脚本 トビー・エメリッヒ

オーロラの輝くある夜、古びた無線機を通じて死んだはずの父親と時空を超えて交信するという、信じられない経験をした主人公の、激動の運命の変転を描くファンタジックな家族ドラマ。

なんらかの小道具を使って、過去、ないしは未来の誰かと会話する、というネタは古くからあった気がしますが(そういえば最近ブラック・フォンってな映画もありましたね)、ずっと昔に死んだ親父とホラーさながらに(全然ホラーじゃないけど)繋がってしまうというパターンは幾分珍しいかもしれません。

いやね、肉親とか安易に登場させちゃうと親殺しのパラドックスとか、色々ややこしい問題が出てくるからさ、賢明な作り手はなるべく避けて通るんじゃないか、と思って。

ちなみに本作の監督も脚本家もそこはあんまり気にしてないみたいですね。

細かいことはいいんだよ!誰も気にしてねえんだよ!(そんなことないと思うけど)って感じで。

で、何に注力してるかというと、不遇にも死別によって断絶しまった親子関係の再構築をドラマチックかつ感動的に描くこと。

心温まる物語の前では小細工も小理屈も無用!・・・・・って、ああ、こういう映画、80~90年代ぐらいのハリウッドにうじゃうじゃいたなあ、と。

ハートウォーミングな路線で大量な集客が見込めた時代の末尾の一作、ぐらいかもしれませんね、発表年を考えれば。

なんかね、1999~2000年って、何かが起こりそうな気配だけはものすごく濃厚だったと思うんですよ。

ノストラダムスはもとより、パソコンの2000年問題とかもあって、これまでとは違う世の中がやってくる、みたいな。

そんな時代背景にうまく乗っかったような気もしますね、この映画。

名作!と評価の高い一作ですが、今改めて見るならやっぱりね、お膳立ては相当に荒唐無稽だと思いますし。

とりあえず太陽黒点の増減が原因でマルチバース化したりしないからね、この世界は。

ああ、そういうファンタジーなんだね、と無理にでも受け入れてやらないことには先には進めない。

この作品に根強いファンが多いのは、サスペンスの謎解きに時間を武器として使ったことと、事件の顛末が思わぬ喜びで括られたこと、その二点に尽きるといっていいでしょう。

特に後者、こんな風にうまくいくわけがない、さすがに都合が良すぎるし、矛盾も生じてくるぞ!と思いながらも「・・・・ああ、本当に良かったね」と胸を熱くしてる自分がいたりもして。

いやそれはズルいだろ、と思わなくもないんですけど、ああこれこそが世界を牛耳ったハリウッド映画、鉄板の手口だよ、とひどく納得するものがあったり。

すごい絵を最後に隠し持ってやがった!と感心したのは確かですしね。

正直、過去と現在が同時進行する構成がわかりにくかったり(なんのとっかかりもなしに急に場面が切り替わる)オープニングの思わせぶりなシークエンスが全く物語に関与してなかったり(人物紹介のつもりだったのかもしれませんけどね、親父はこんなやつだ、みたいな)と、隙なしの名作ってわけじゃないんですけど、最後はこうやって終わるんだ、という強い意志が不備も不具合も何もかも飲み込んで多くの支持を得るにまで至った、って感じでしょうか。

これを生涯の傑作と呼ぶ人の気持はわかる。

わかるが、私はもう少し現実味が強くてビターな方が好きかな。

ちなみに似たようなプロットの映画で嵐の中で(2018)というスペイン映画がNETFLIXにあるんですけど、私はこっちのほうが好き。

本作がいささかスウィートに感じられた人は是非。

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