ホーリー・マウンテン

アメリカ/メキシコ 1973
監督、脚本 アレハンドロ・ホドロフスキー

ホーリー・マウンテン

カルト映画の金字塔として名高い一作。

ホドロフスキーの代表作としてこの映画を挙げる人も結構いたり。

まあ、ぶっちゃけ狂ってますよね、思わず笑ってしまいそうになるレベルで。

普通に映画を見る感覚で視聴に望むとあっけにとられるか、ついていけなくなって途中で再生ストップが関の山。

なんせオープニング、魔術師みたいな風貌の男性(錬金術師らしい)が両隣に居る半裸の女性の髪の毛を剃髪するシーンで幕開け。

わけがわかりません。

一切の説明はないです。

しかもそのシーンが後々の展開の伏線になってるとか、ストーリーを紡いでいくための起点になってるとかいうわけでもなくて。

以降も妄想を具現化したようなシーンのオンパレード。

キリスト本人をあてこすったような風貌をした男が不具な小人を連れて乱痴気騒ぎをしたり、カエルがミニチュアの城で戦争をおっぱじめたり、トップレスの修道尼に片目を差し出す男がいたり、大便を黄金に変えるシークエンスが仔細に描写されたり。

中盤ぐらいまでは物語の体をなさぬエログロナンセンスのオンパレード。

連続性もなければ相関性もまるでなし。

で、やっとストーリーが動き出すのが中盤以降で。

なぜか錬金術師が世界から9人の男女を集めて、聖なる山に住む賢者達から不死を奪いに行こう、と言い出すんですね。

唯々諾々と従う9人の男女。

かといって、物語が動き出したからとホドロフスキーがまともなことをやりだすはずもなく。

東洋神秘主義にかぶれたかのような儀式的シーンが連続したかと思えば、意味なく俺の屍を乗り越えていけ、みたいなシーンがあったり。

はっきり言って、いい加減疲れてきます。

もうなんでもいいからそろそろ終わらせてくれ、みたいな。

ま、ここに芸術性だとか、アイロニーだとか、寓意を読み取る人はきっとたくさんいるんでしょう。

確かに「いったいどこからこんなこと思いついたんだ?!」と驚愕するようなイマジネーションの奔流があることは私も認める。

密度の濃さは半端じゃない。

意味があるようでないことをぎっちり117分に詰め込んでるんで、まるで3時間超えの映画を見ているかのような情報量の凄まじさがあった。

でもね、やっぱりこりゃ極北のアンダーグラウンドだと思うんですよね。

世界中のクリエイターやアーティストと呼ばれる人たちに絶賛する人が多い、というのはわからなくもないんですが、だからといって我々がそれに感化されて必要以上にこの作品を祀り上げなくてもいいんじゃないか、と。

極端な話、独りよがりで退屈、とぶった切る人が居たっていい。

唯一、私が唸らされたのは、予想外にメタな展開で終わるラストシーン。

リアリズムそのものに対するしっぺ返しだったのか!と一瞬「こりゃ凄い!」と評価がひっくり返りそうになったんですが、いや待て、落ち着け、それこそが罠だ、と終盤までを振り返り、結局「アングラ」の評価に落ち着いた次第。

感動の方程式、ヒットの図式に忠実なブロックバスター映画にしか触れたことのない人は一度見てみてもいいかもしれません。

名作だとも傑作だとも思いませんが、これもまた映画であり映画の可能性であることは疑う余地なし。

シュールで猥雑で意味不明ですが、決して実験映画ではないことが凄みかもな、とちょっと思ったりしました。

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