エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

2022 アメリカ
監督、脚本 ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート

昨年ぐらいから話題になっていた、カンフー+マルチバースを描いた注目作。

いやー、しかしこの作品がアカデミー賞7部門受賞とはびっくりですね。

なんだろ、コロナ禍で大作が次々と公開延期を余儀なくされる中、うまく間隙をついたというか、ぴったり隙間にはまったというか。

アカデミー賞らしくない映画なのは間違いないです。

ふざけてるわ、露骨な下ネタを躊躇なくやるわ、どっちかといえばバカバカしいわ、で。

というか、はっきりいって序盤は結構なレベルでわかりにくい。

マルチバースの概念はともかくとして、主人公であるエブリンの身になにが起こっているのか、寸時に理解できた人はほとんど居ないと思いますね。

要は多元宇宙(パラレルワールド)のそれぞれに存在するエブリン(カンフーマスターだったり、料理人だったり)に、本作のエブリン(コインランドリー経営)が突然ある方法でもって意識だけをシンクロさせ、経験則なり、体技なりを瞬時に習得することができるようになる、というのが物語の前提。

ここをきっちり抑えておかないと、その後の展開が全く理解できなくなります。

場面がそれぞれの世界で暮らすエブリンの日常に飛びまくるんでね、これってすべて同時進行で進んでるってこと?と混乱してしまいそうになりますが、物語の舞台は常にコインランドリー店の経営に四苦八苦するエブリンが存在する世界だけで展開していきます。

クリーニング屋のエブリンが窮地を脱する(敵からの攻撃に抗する)ために、多元宇宙に暮らす自分の手(スキル)を借りる、とでも言えばいいでしょうか。

常にクリーニング屋のエブリンの主観、視点でストーリーが進行してくれりゃあわかりやすかったんですけど、カンフーマスターのエブリン、コックのエブリン他描写するときに第三者視点というか、客観視するもんだから、あれもこれも全部エブリンの多層的な人格と捉えるべきなのか?それとも入れ替わってるの?とかつい考え込んでしまったりするんですよね。

これは不親切とか難解なんなんじゃなくて、ただ単に説明下手なんだと思います。

冗談みたいな展開でマルチバースに取り込まれていくんでね、きっとその延長線上でコミカルに演出したかったんでしょうけど、物語の基本ルールは流れに任せて雰囲気で悟らせるんじゃなく、どこかできっちり言及すべきだったと思いますね。

じゃないとカオスすぎてせっかくのデタラメも楽しめない。

まず、整理して理解しなきゃ、って方に意識が働く。

私の場合、第2章が始まる(3章に章立てされてる)ぐらいまではあんまりのれなかったですね。

第2章のタイトル、「EVERYWHERE」が浮かび上がってきて、ああなるほど、やたらと長い映画名の意味はそういうことだったか、とようやく膝を打ったぐらいで。

で、じゃあそこからは楽しめたのか?って話なんですが、うーん、どうなんだろ、わかったところでジョブ・トゥバキの諍いや、それに介入してこようとする勢力の存在等が、なんだかマトリクスの安いパロディみたいでね(厳密に言えば違うんだけど)、自分の中であんまり盛り上がらなかった、というのはある。

ミシェル・ヨーのカンフーが、60歳にしてはやれるほうでしょ?みたいな路線で賑やかし程度だったのもマイナス点。

やっぱりポリス・ストーリー3(1992)での再デビューが強く印象に残ってますから。

いつまでもあの頃のイメージをひきずってちゃ駄目なんでしょうけど、近年、イップマン外伝マスターZ(2018)でもすごい体術披露してたしなあ、もっと本気でアクションコーディネーター呼ぶなりしてやればこんなもんじゃないと思うんですよね。

結局、この壮大でSF風な大風呂敷の物語を、最終的には家族ドラマとして畳んでしまった手腕が評価されているのでは?という気がしますね。

そこへ着地するのかよ、と軽く笑ってしまいましたし。

ま、ハリウッドは間違いなくこの手のドラマチックな路線は好きでしょうし。

ただまあ・・・・だけど、それにしたって騒がれすぎ、という気が若干しなくはないです。

ニッチに映画ファンが高く評価しそうな作品だと思うんですよね、広くうけるタイプじゃなくて。

前作、スイス・アーミー・マン(2016)からは順当に進化してる、とは思いますけどね、岩の会話シーンとか、ダニエルズならではだな、と思いますし(普通はやらんよ)。

60歳のアジア人女優を主演に抜擢してアクションコメディ映画を撮ろうとする決断力、行動力は脱帽ですが。

ミシェル・ヨーの魅力を再発見する一作にはなってると思いますね。

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