2022 アメリカ
監督 ルカ・グァダニーノ
原作 カミーユ・デアンジェリス
もう、宣材に書かれちゃってるんではっきりいいますが、定期的に人肉を生食しないと生きていけない亜人種の、人目を忍ぶ生活を描いた青春もの?SF/ファンタジー。
監督はリメイク版サスペリア(2018)で私を当惑と畏怖の立ち往生に追い込んだルカ・グァダニーノ。
いやそりゃ期待しないわけないだろ!って話なんですが、うーん、もう結論から書いてしまいますけどね、なんかちょっと思ってたのと違った。
なんせカニバリズムが題材ですからね、序盤のインパクトは強烈だったし、いやこれはとんでもないところに手を突っ込んできた!と震えたんですが、ふと気がついたら物語はなんだかボニー&クライドみたいになっちゃってて。
えっ、俺たちに明日はないのか?と。
行く先々で殺人犯して人肉踊り食いですんでね、そりゃ間違いなく明日はないんだろうけど、愛だけを頼りに刹那を生きる、って風じゃなくて、なんだかさほど緊張感のないままロードムービー調なんですよね。
すっげえ禁忌を犯してるのに、どこにでもいそうな感じの、貧しくて世間から顧みられることもない若いカップル二人がくっついたり、喧嘩したりしてる様子を延々見せられるだけでシナリオは進行していって。
もちろん人肉食わずにいられない自分に苦悩するヒロインの姿や、その出生の秘密、しいては母との数十年ぶりの再会等、思わず前のめりになるシーンはいくつかあるんですが、そのどれひとつとしてはっきりとした落とし所を見出さぬまま、気がつけば主人公カップル二人でいちゃいちゃしてた、みたいな。
なんだかすべてが曖昧模糊としてるんですよね。
作中では人肉食種である人間は一定数居る、とされてますが、それが生物学的に共食いしないと死んでしまう生命体であるのか、それとも特定の人間の精神的な病(遺伝子疾患でもいいけど)が原因であるのか、まるで言及されないんで、見てる側としちゃあ、まず病院へ行け、としか言いようがなくて。
食いたくてたまらないからといって、なんでろくに調べもせずにそんな自分を受け入れちゃうの?と不思議でならないわけですよ。
昔から人間に隠れて存在してるらしいんですけど、誰一人として同族を好んで食う自分の存在に疑問を抱かなかったのか?と。
1人ぐらい統計とってみたり、食性が及ぼす影響を分析、探究してみてもよかったんじゃないか?と思うんですよね。
じじいの同族が登場するんで、人肉食を続けても異常プリオンは脳に沈着しないみたいですけど、それならそれで、ならば我々はいったいどういう存在なのか?を突き詰めてほしかった。
そしたら骨ごと食う意味や、ラストシーンの解釈も全く違ってきたように思うんです。
また、人殺しを続けながら旅する二人に全く警察が迫ってこない、というのもよくわからない。
証拠、残りまくってると思うんですよ、直食いしてるから間違いなく歯型は一致すると思いますしね。
なんせど素人のじいさんが楽々尾行してるぐらいだから。
それ以前に、あれだけ食い散らかしてたら周辺住人が「連続殺人だ!いや、それとも人食い熊が徘徊してるのか?」と騒ぎ出すはずで。
二人とも警察を警戒してはいるんですよ、でも大きな障害なく部屋を借りたりとか、できちゃってるんでね、えっ、法治国家の世界の話だよね?なんか見落としてるのか俺?と終盤になって慌ててしまったり。
到底、世間に受け入れられるはずもないマイノリティを描いていることから、ぼくのエリ(2008)みたいな方向へ行くのかな?と邪推してしまったことが失敗だったのかもしれませんが、これだと共通の秘密を持つ二人が、その秘密ゆえ深い愛を育んだラブロマンスにしかなってない、と思うんです。
全部が内輪の世界で完結しちゃってる。
グールである自分(主人公たち)を世界から見つめ直す視点が欠落しちゃってるんですよね。
聖書を持ち出してきて宗教的解釈をされている方もおられるみたいですが、私に言わせればこりゃ永遠に多数派には属することのできない二人の昏いファンタジーですね。
ま、骨まで愛してってことか、とあんまり深く考えないのが無難かと思います。
余談ですが、テイラー・ラッセルがやたら演技上手くてびっくりした。
こんなにできる娘だったんだ、と。
ティモシー・シャラメは男前すぎて腹が立ってくるけどな(なんだそれ)。
見応えのある作品でしたが、もう少し深い場所まで踏み込んでほしかった、というのが本音でしょうか。