2022 アメリカ
監督 ダーレン・アロノフスキー
脚本 サム・D・ハンター
過食がたたって、恐ろしく太ってしまったがゆえに、自室から出られなくなってしまった男の、別れた妻や娘との関わりを描く人間ドラマ。
特殊メイクだとはわかっていても、主演であるブレンダン・フレイザーの凄まじい太り散らかしぶりはさすがに衝撃だったりはしましたね。
そもそも272キロの中年男性が主役である映画なんてないですから(あるのか?)。
テレビのリモコンを落としただけで、もう生身では拾えなかったりするわけで(捕獲棒がいる)。
人間って、ここまで巨大化することが可能なんだ・・・と、ある種の感嘆でもって画面を凝視しちゃったり。
ただね、そこまでデブってしまうからにはやはりなんらかの理由があるわけで。
私が一番驚愕だったのは、よくよく考えるならこの物語に誰一人として悪人は登場してないのに、登場人物みんなが幸せになっていないこと。
なんて人生はままならないんだろう、とつくづく思いましたね。
人によって受け取り方は違うとは思うんですが、私は主人公のチャーリーの選択に間違いはなかった、と思っている方で。
自分の気持ちを欺き続けて妻と子のために、良き夫であり父親を何年も演じ続けるより、結果傷つけることになろうとも正直であったほうがいい。
でないと、偽られた側の方が後から辛くなってくると思うんですよね。
実は自分はゲイだった、と妻との間に子供が出来てから、チャーリー本人が気づいてしまったから問題はややこしくなってるだけで。
なんだかもうLGBTQのやるせなさをね、何倍にも濃縮して詰め込んだような・・・とでもいうか。
せめてまだ女だったら・・・と思う元妻の気持ちもよくわかるし、娘が父親を汚いものでも見るような目でみるのもよくわかる。
じゃあどうすりゃよかったの?っていわれて全員がハッピーになる答えが見当たらないんですよね。
そりゃ太り散らかしもする。
もう本当にアロノフスキーはこの手の追い詰められた人間たちを描くのに長けているというか、トラウマフィルム製造メーカーだと思いますね。
マザー!(2017)みたいな超問題作撮っちゃったら次大変だぞ!次どうするんだ?と、懸念してたらこれだよ。
全然懲りてないどころか、手綱が緩む気配すらなし。
こやつほんとに、相・当・性格悪いんじゃないか?という気がしますね(悪いんだろうなあ)。
でね、主人公はもはやこの先長く生きられないんですよ。
太りすぎて心臓に負担がかかり、うっ血性心不全だと診断されてて。
血圧が上238だってんだから、生きてるのが不思議なレベル。
死を前にして、チャーリーは何をなそうとしたのか?がこの作品のテーマ。
メルヴィルの白鯨がちょくちょく登場してきて大事なキーワードになってるんですけど、物語が進むにつれてモービー・ディックとチャーリーの姿がかぶって見えてきてね。
チャーリーが伝えたかったのは、本当にささやかで、生きるためのわずかなヒント。
なのにうまく娘と向き合えない時間ばかりが無意味に過ぎ去っていく。
ラストシーン、衝撃的で神々しくさえあります。
劇中でしつこい宣教師の勧誘に翻弄されるシーンがあって、いかに彼らの教えがなんの救いにもならないかを強烈に皮肉ってたりするんですが、むしろ主人公自身が宗教的アイコンのように描写されていたりもして。
とても密室劇とは思えぬ濃厚さで、行間が恐ろしく雄弁に語りかけてきます。
原作が戯曲であるがゆえの強みもあるんでしょうが、それを映像化するにあたってまるで平坦にも単調にもなってないのが素晴らしいの一言。
また主人公の心の支えが最期まであの手紙だった、という事実がもうね、泣かせやがるんですよ、否応にもね。
はっきり言って重いです。
重いが、文句なし傑作。
ただ普通に生きていくことを望んだだけなのに、当たり前を享受することができなかったやるせなさを描く、優れた作品だと思いますね。