イタリア/フランス 1964
監督 フェデリコ・フェリーニ
原案 フェデリコ・フェリーニ、トゥリオ・ピネッリ
夫の浮気を疑う女性の揺れ動く内面を、現実と妄想で彩った異色作。
・・・っていうか、もう甘い生活(1959)以降、ずっと実験作というか異色作ばっかりなんですけどね、巨匠ってば。
何度も書いてますけどね。
今作は、監督の奥さんであり、名作道(1954)やカリビアの夜(1957)のジュリエッタ・マシーナが主演なんで、原点回帰してくれるのか?!とささやかな希望でもって手にとってみたんですけど、いやー、全く揺らぐことはなかったですね。
ジュリエッタだろうがなんだろうが知った事か!とばかりに我が道を行く有様。
そりゃね、8 1/2(1963)やつい最近見たサテリコン(1970)に比べりゃ幾分わかりやすい題材で、ストーリー進行でしたけど、相変わらず煙に巻くような台詞回しだわ、これいったいどう繋がってるんだ?と見てて混乱するような場面転換が続くわで、とにかく観客を突き放すことに余念がない。
いや、普通これぐらいわかるだろ、俺の意図を汲んでくれよ、と監督は思ってるのかもしれませんが、あのね、無理だから、それ。
こうもパーソナルな非現実的イマジネーションに堂々と迫られると、人は何に寄っかかればいいのかわかんなくなるんであって。
それこそが醍醐味、という人の気持ちもわからんでもないんですけどね、決してドラッギーではないし、奇妙な整合性を保ってますしね。
とはいえ、こういうのって突き詰めるなら結局最後には感性に頼るしかなくなってくるわけですよ、波長が合うのか?合わないのか?みたいな部分でね。
だってこの物語、箇条書きにして要点をまとめたら、多分3、4行ぐらいで終わると思うんです。
脱線ではないんだけど、よくわかんない副次的エピソードがあまりにも豊かに生い茂っていて。
オカルトや神秘主義が少しづつ頭をもたげてた時代背景もあるんでしょうし、宗教的解釈を必要とするシーンもきっとあることと思います、でも、それを興味深いとは思えても、面白いと感じる感覚は私の中にあんまりなくてね。
あと、ジュリエッタ・マシーナ、8年ぶりのキャスティングではありますが、残念ながら役柄に合ってない、と私は思いました。
彼女の特徴的なアルカイック・スマイルがねー、なんだか主人公の置かれた立場、心情を反映していないような気がして。
パラノイアックに見えるわけでもないし。
非常にカラフルで、なにかと幻覚的で象徴的な作品ですが、よくぞまあ立て続けにこうも非商業的映画ばかりを撮り続けられたことよな、と変な意味で感心するばかりです。
すごいな、当時のヨーロッパ。
というか、こういう作品を咀嚼することが出来ない私が駄目なのか。
ただ、この頃の一連の作品が、後の前衛派を含む多くの映像作家に影響を与えたのだと思うと、わからないなりに開拓者たる偉大さは実感せざるを得ません。
誰もやってなかったのは間違いないでしょうし。