アメリカ/イギリス/ギリシャ 1964
監督 マイケル・カコヤニス
原作 ニコス・カザンザキス

2021年初頭より、フジテレビで放映され、人気を博している深夜ドラマ「その女、ジルバ」はこの映画のタイトルをもじってるんでしょうね、きっと。
調べてみたら、有間しのぶの筆による原作漫画が存在してたので、おそらく作者がこの映画になにかしら思い入れがあった、ということなんでしょうね。
ギリシャ人監督として国際的な評価も高い、マイケル・カコヤニス監督のハリウッド進出作として名高い一本ですが、ぶっちゃけ不思議な質感の映画だなあ、というのが私の正直な感想。
物語の主人公である作家のバジルは、父親の残した遺産であるクレタ島の亜炭の炭鉱を復興させようとしてるんですが、その道中で風来坊っぽい壮年の男、ゾルバと出会い、なし崩し的に彼を雇う羽目になってしまう、というのが映画のオープニング。
なんというか、調子が良くて押しが強いんですね、ゾルバ。
俺に任せておけ、と。
炭鉱なら、経験者だ、と。
で、肝心なのはバジル本人が、転業しようとか、人生を仕切り直そうとか、本気で思ってる節のないこと。
よくある話ですが、書けなくなっちゃってるんです、バジル。
いわゆるスランプ。
炭鉱が復活すれば島の人達の生活も豊かになって感謝されるに違いない、とか志の高いことを言ってますが、どうやら本心はなにか違うことをやって袋小路から抜け出したい、といった風で。
ストーリーは異邦人である二人が、同じ異邦人であるホテルの支配人の婆さんと仲良くなったり、島の未亡人と恋仲になったりと、なにげない日常を紡いでいく形で進んでいくんですが、本筋である炭鉱の復活に関しては恐ろしく話が進まない。
クレタ島異聞風土記、知られざるギリシャの島を訪ねて~みたいな感じなんですね。
いわゆるバディもの的な熱い友情や、お互いがお互いに触発される様子を描く等、わかりやすい感動路線はここにはありません。
適当な距離感で、適当に二人共楽しくやってる感じ。
本来なら島の人達との手探りな交流とか、炭鉱を復活させることが本当に島にとって大事なことなのか?など、掘り下げそうなものですが、それすらもない、ときた。
挙げ句にゾルバは炭鉱復活のための資材を買いに行く、と言ってでかけて一向に戻らない。
街で一人、お姉ちゃんと遊んでたりする。
なんだこれ、グータラ観光旅行記かよ、って。
唯一、私がヒヤリとしたのは、人の死に対する島の人間の禁忌の欠如を描いたリンチの場面なんですけど、これもなにかしら問題提議する様子もなく「そういうものだ」と流してしまうんで、ただひたすら怖いだけで終わってしまうありさまでして。
いやいや、これ、普通に警察沙汰でしょうが!と思うんですけど、バジルとゾルバは大きく慌てる様子もなく、なんとなく受け入れちゃってる。
このあたりから「一体何をやりたいんだ?」と私は懐疑的になってくる。
そして迎えたエンディング、ようやく炭鉱の話に戻ったか、と思いきや、壮大な大失態がオチとして待ち受けてまして。
結局、見終わって私が思ったのは、ああ、きっとこれは全肯定の物語なんだろうな、ということ。
喜びも悲しみも、生も死も、成功も失敗もすべてはイーブン。
言葉は良くないかもしれないけど、享楽的、というのがいちばんしっくりくるかもしれない。
で、それこそが欧米的なサクセスストーリーとは相容れぬギリシャそのものの民族性であり、風土なんだろうな、と。
ゾルバとは、それを体現する者、なんでしょうね。
そりゃ財政破綻もするわ、と身も蓋もない事を思ったりもしましたが、作品として異彩を放っていることは確かでしょう。
なんだかバカボンの親父の決め台詞「これでいいのだ」が脳裏をよぎりましたね。
名作というのとはちょっと違うかもしれませんが、疲れてるときや落ち込んでるときに見ると、少し元気が出る一作かもしれません。
余談ですが主人公のバジルは、このあと馬鹿らしくなって筆を折ったのではないか?と私は密かに思ってたりします。
カコヤニス監督の次作。
個人的には大傑作。