アメリカ 1968
監督 ドン・シーゲル
原作 ハーマン・ミラー
主演のクリント・イーストウッドが、マカロニウエスタンなガンマンから一匹狼なはみ出し刑事へとイメージを変えるきっかけになった作品。
あちこちで言われてますが、まさにプレ・ダーティ・ハリー。
アリゾナ州からニューユークへとやってきた田舎者の保安官が、市警のやり方を無視して横紙破りな捜査を1人で勝手にやっちゃう話なんですが、ほぼ想像を裏切らない内容で、安定感抜群というか脱力というか、まあその、色々と悩ましい感じでしたね。
タフで己を曲げないアンチヒーローを描きたかったんでしょうけどね、突き抜けてない、ってのはどうしたってありますよね。
見目やまとう雰囲気はやたらかっこいいんです。
そりゃもう、イーストウッドですから。
セリフひとつ、仕草ひとつがいちいちキマってる。
けれど、存在感の割にはたしたことやらないんですよね。
暴力も辞さない、ってわけでもなし、犯人逮捕のためなら泥をもかぶる、ってわけでもないし。
たいして活躍の場面がないまま早々にトイレでのされちゃったりしてますし。
かと思えば捜査放ったらかしでやたらお姉ちゃんを口説くことだけは熱心だったりする。
口説く→勝手に捜査→口説く→ちょっと捜査→再び口説くで、何を見せられてるのかよくわからないままシナリオは進行。
最後の逮捕劇もあんまり盛り上がりませんでしたしね。
そりゃね、ダーティー・ハリーに興奮した身としちゃあ、やっぱり派手に拳銃ぶっ放して暴れまわってほしいわけで、物足りなさはどうしたって顕著。
イーストウッドの歴史を追う上で、重要作かとは思うんですが、これほんとにドン・シーゲルが監督してんの?と疑いたくなるような押しの弱さは否定できないでしょうね。
ここを通過したからこそハリーが産まれたのだ、と検証するための一本、って感じでしょうか。
テキサスの保安官クーガン、というキャラクター自体は非常に魅力的なんで、それ目当てで見るしかない迷作かと。
イーストウッドのファンなら、それでもいいんだ、それでも全部許すんだ、って言いそうですけど。
あ、私のことか。
関係ないですけど邦題がやたらかっこいいのも罪ですね、ほんと。