アメリカ 2019
監督、脚本 ガイ・ナティーヴ
白人至上主義者に育てられたがゆえに、自らも生粋のレイシストになってしまった実在の人物ブライオン・ワイドナーの半生を描いた実話もの。
アカデミー賞短編実写賞を受賞した21分の短編を監督自らが長編化した作品ですが、そりゃ黒人差別がなくなるはずもないわ・・・と納得する内容ではありましたね。
そういう仕組みになってたのか、と私が驚いたのは、多くの差別主義者は思想的にかぶれて行動を共にするのではない、という点。
もちろんそういう人も中には居るでしょうし、色んな入り口はあるんでしょうけど、本作における差別団体のグループって、身寄りのない子供を養子にするところから始めやがるんですよ。
それが正式な手続きを得たものなのかどうかはわかりませんが、幼い頃から有る事無い事吹き込まれちゃあ、人格も歪む、って話で。
で、そういう連中が今度は街なかでたむろしてる貧乏そうな10代と思しき白人に声をかけるわけです。
「よかったら一緒に来ないか」
「飯には困らないぞ」
いやいや人員を確保するためのメソッドが確立してるじゃねえかよ、と。
イデオロギーがどうこうじゃないんですね。
まずは人を集めて、あとから「お前はこの場所でしか生きられないんだぞ」と追い込んでいく。
やってることはアメリカ政府が自国の軍隊に人を集めるための施策と非常に似通ってますが(なので理にかなってる、とも言える)問題の根底には格差社会があり、貧困がその原因だった、というのは軽く目からウロコでしたね。
結局、歪んだ思想を過激に論ずる人物って、団体のリーダーを含めてごくわずかなんですよ。
殆どの構成員はリーダーが言ってることをオウムのように繰り返しなぞっているだけ。
カルト教団じゃん、と。
そもそもが水中クンバカとか座禅ジャンプとか真面目にやってるバカ(高学歴な人たちが多かったですけど)とさほど大差なかったのか、と私はある意味恐怖しましたね。
それって、統率性、規律のある半グレ集団みたいなものですし。
たちが悪いこと、この上ない。
で、本作なんですけど、主人公は幼い頃から洗脳されてて、全身にタトゥーを入れてしまうほどどっぷり差別集団に馴染んでます。
それなりの地位も集団内では与えられていて、どこか得意げ。
それがある日、3人の子をもつシングルマザーに出会い、なんだか目覚めちゃうんですね。
俺はこのままじゃいかん、と。
前述したように、レイシストはいかにして育まれるのか?を描いた場面はとても興味深かったし、さまざまな発見もあったんですが、この作品が片手落ちだったのは「なぜ主人公はシングルマザーの存在によって転向を決意したか?」をはっきり伝えられてない点にあるといっていいでしょう。
ガチガチの偏向思想に凝り固まった人物を改心させるなんて並大抵のことじゃないと思うんです。
ましてやそれが子供の頃からの刷り込み、とあってはなおさら。
なのに主人公は、さしたる理由も見当たらないまま危険を犯して女のもとへと走るんですよね。
いやいや、まさか「恋は盲目」とでも言いたいじゃなかろうな、と。
少女漫画かよ!って話だ。
恋愛で劇的に人が変わるのはわかるけど、社会問題に鋭く切り込んでおきながらですよ、こういう人たちをなんとかするには「恋をしようよ!って、勧めるしかないよねっ」ってオチになっちゃってるんです、この映画。
頭の中がお花畑なのか?と。
おそらく監督は事実に忠実に作劇したんだと思うんですけどね、経過をたどることが真実味を増す場合と、ひたすら上滑る場合、両パターンがあると思うんですね。
今回は間違いなく後者。
好きな女性が差別主義者は嫌い、って言ってたからやめました、が成り立つんなら、世界からはとっくの昔に戦争なくなってるわけで。
女の何が男を変えたのか?こそを監督はこだわって掘り下げるべきだった。
そこにこそ、洗脳されたレイシストの頑なな心を溶かすヒントがあったはずなんです。
実話ものの罠にはまった一作だと思いますね。
取材不足な面もあったのかもしれませんが、映画なら多少の演出やフィクションを混じえてでも説得力を意識してほしかった、と思う次第。
ブライオン・ワイドナーとはどういう人物だったのか?結局の所よくわからない時点で失敗作なのかもしれません。
ドキュメント的な面白さはあるんですけどね。