バクラウ 地図から消された村

ブラジル/フランス 2019
監督、脚本 クレーベル・メンドンサ・フィーリョ、ジュリアーノ・ドルネリス

この映画をどう説明すればいいのか非常に悩むんですけど、ものすごく簡単に言ってしまうなら、ブラジルの田舎町を襲った理不尽な暴力の惨劇に、立ち向かう住人たちを描いた一作、ってな感じでしょうか。

見終わって振り返ってみれば、ストーリーはさほど入り組んでないし、むしろシンプルだと思うんですね。

どうにも混乱させられる大きな要因は、一本道な物語に、やたら枝葉末節が豊かに生い茂ってるせいでしょう。

だいたいオープニングからして妙なんですよ、この映画。

母親の葬儀のために故郷の村へと帰ってきた女が、いきなり出くわすのは出棺の際に母親を罵詈雑言で罵る村の女医。

ああ、これは村にも住人同士の対立があるんだな、と思うじゃないですか。

女が帰ってきたことにより、きっと村内部のパワーバランスが崩れるんだろうな、と。

相当な田舎っぽいし、ひょっとしたら近代化を寄せ付けない土着信仰的な文化でもあるのかもしれない。

えっ、ミッドサマー(2019)なのか?と。

そしたらだ。

それはそれとして、みたいな感じでストーリーは早々と別の場面へ。

嫌われ者の市長が村にやってきて、拡声器を手に村人たちを懐柔しようとするシークエンスがしばらく続いたりする。

選挙運動っぽいんですけどね、そもそもなんで嫌われてるのかもよくわかんなければ、どうしてこんな僻地の村に市長がこだわるのかもよくわからない。

で、物語の中盤ぐらいで私はようやく気づくわけです。

あれ、村に帰ってきた女、別に主人公でもなんでもないじゃん。

村の女医も「ごめんね」と一言謝ってすべて元通りになってるじゃん。

いやいや一体なんのための不穏なオープニングなのか?と。

なんの布石にも伏線にもなってないんですよね。

一事が万事その調子でして。

アコースティックギターを達者にかき鳴らすじいさんのワンマンショーがあったかと思えば、いきなり村人たちがカポエラをベースにしたような踊りを踊りだしたり、フルヌードの老夫婦が郊外で植木に水やってたりと、主筋につながらない断片を各部に好き勝手折込み放題。

村で暮らす人達の様子をデティールにこだわって描写することに、やたら労力注いでる。

なんのご当地ドキュメンタリーなんだよ、って話で。

中盤以降は突然のバイオレンス。

謎の襲撃者に村人たちが無残にも殺されていくんですよね。

これがまたそれらしい前フリもなくて。

急に荒野のストレンジャー(1972)みたいになってる。

しかも襲撃者は小型のUFOみたいなドローンを操ってて。

おいおいここにきてSFかよ!とあたしゃ腰を抜かしそうになった。

あとから調べてみたら「そう遠くない未来の話」という設定だったようで、この作品。

それゆえのハイテクな小道具だったらしいんですが、この内容で「未来」って、えっ何故?としか言いようがなくて。

一応、物語は最後にまとまりはします。

ああ、そういうことだったのか、と納得できるようにはなってる。

でもねえ、このエンディングなら、131分の上映時間のうち30分ぐらいは余裕で必要ないと思うんですよね。

識者な方々のレビューとか読んでると、植民地時代に逃亡奴隷たちによって作られ、都市部から孤立した集落「キロンボ」に生きる人達の、権力に対する反骨心、搾取を許さぬ気高さを描いてる、みたいなことが書いてあったんですが、それね、伝わらないから、と私は思いましたね。

不勉強ゆえの読解力のなさが作品に対する深い理解を妨げてるのかもしれませんが、それにしたってカオス過ぎるだろ、と思う次第。

手法、作風といえば聞こえはいいですが、ブラッシュアップの仕方をもう少し学んでもいいんだよ、と思ったりもしましたね。

怪作。

こういう映画はヨーロッパやアメリカからはまず出てこない、と思いますが、洗練とは真反対の指向性に物珍しさを感じて振り回されすぎると本質を見誤る気もしますね。

地図から村が消えてたくだりとか、物凄く期待させるものがあったんですが、それもあんまり活かせてない時点で課題は多いように思います。

マニア受けしそうではありますけどね。

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