アメリカ 2015
監督 リドリー・スコット
原作 アンディ・ウィアー

ああ、これは人々の良心であり、性善性を謳った映画だ、と私は思った。
まず普通に考えてですね、火星にたった一人取り残された宇宙飛行士のために救出プロジェクトが立ち上がる、なんて絶対考えられない、と思うんです。
作品の設定では地球と火星を行き来するのに片道1年近くの日数がかかることになってますから、その技術力から類推するにコストも天文学的であることは間違いない。
一人の命を救うために小国の国家予算規模の支出が認可されるか、というとまずありえないですよね。
ましてやアメリカ。
世界中で経済活動という名の紛争の種を撒き散らし続けてる国がそんな一文の得にもならないことに血道をあげようはずもない。
たとえ残された飛行士がまだ生きてることをネットですっぱ抜かれたにしてもですよ、徹底的な情報規制と弾圧でなかったことにするだろうことは疑いようもない。
中国が自国の極秘計画であるロケットを救出のために貸し出す展開にいたってはもう限りなく絵空事といっていいでしょう。
そんな寛容さがあるぐらいなら南シナ海で小競り合いが起ころうはずもない。
つまりはファンタジーなんですね。
こうあったらいいな、こうあって欲しいな、という。
それが証拠に作品には誰一人として悪人が出てこない。
みんながみんないい人ばっかりなんです。
ただ、監督はそんな御伽噺のようなファンタジーを、徹底的な科学的考証に基づき、つけいる隙がないほどリアルに描き出した。
これ、相当なブレインストーミング重ねてると思います。
まさにサイエンス・フィクションと呼ぶべき学識の裏ずけが作品世界にはあった。
だから、そこについついのせられちゃうんですね。
なにかのシュミレーション、実録ものを見せられているような気分になる。
こんなこともあるのかもしれない、という気持ちになってくる。
派手な演出は控え目で、物語性が希薄なのも見終わって振り返るなら良かったのかも、と思ったりもする。
その分、現実味が増したようにも感じますし。
いやいやこれはないでしょ、と断じてしまうとそこまでか、とは思いますが、世界がこんな風だったら素敵だよね、と素直に受け入れることができれば、きっと満足の142分になることと思います。
若干プロパガンダ臭がしなくもないんですが、ラストシーンの思わぬ美麗なランデブーに私はぐっ、っときちゃったので、これはこれで良し、とすることにする。
余談ですがマット・ディモン、いい役者になったなあ、と。
いや、私が言うまでもなくすでに高い評価を得ている俳優さんではあるんですが、なんか歳をとって渋みを増したように思えましたね。
きちんと作りこんである秀作。
ディズニーを見るぐらいのつもりで望めばきっと予想外に楽しめるはず。