アメリカ/カナダ/イギリス 2015
監督、脚本 ロバート・バドロー

50年代にジャズ・シーンで一世を風靡した伝説のトランペッター、チェット・ベイカーのシーンから姿を消していた10数年に及ぶ空白の日々を描いた伝記ドラマ。
ちなみに私はジャズに関してはほぼ門外漢ですんで、チェット・ベイカーの存在すら知りませんでした。
かろうじて彼の歌った「マイ・ファニー・バレンタイン」を耳にしたことがある程度。
なので彼のトランペットがいかに素晴らしいものだったのか、当時のシーンにおける彼の存在がどういったものだったのか、まるで知らないんですが、作品を見た限りでは詳しく知らなくてもあまり問題ないかな、と。
一人の時代の寵児がどん底から再びスポットライトを浴びるまでの回顧録という物語構造に普遍性があるんで、あまり身構えなくともストーリーを追えるんですね。
専門的になりすぎてないんです。
もちろん彼のことを知っていたほうが、より物語にのめり込めるであろうことは間違いないでしょうけど。
綴られているのはヘロイン依存からの決別を目指し、もう一度表舞台に立とうとするミュージシャンの苦闘の歴史。
売人とのトラブルで、アゴを砕かれ前歯を全損した男が、以前のようにプレイできない自分へのいらだちと葛藤、そして誘惑を、どう乗り越えていくのかを切々と描写してるんですね。
なんといっても圧巻だったのはイーサン・ホークの取り憑かれたような演技。
彼の6ヶ月に及ぶトレーニングの結果が実を結んでいるのかどうか、トランペットの上手い下手が私にはさっぱりわからないんで判別はつかないんですが、その佇まい、プレイする姿がまとう空気感がミュージシャン以外の何物でもないことに私はひどく感心しました。
これを言葉で伝えることってすごく難しいんですけど、なんというか「怖れ」みたいなものが微妙に混じってるんですよね。
今日もいつものようにプレイできるのだろうかと言う不安、聴者は今日の俺に満足してくれるのだろうかという怯え、それが演奏する姿からほころびのように伝わってくるんです。
チェットがどういう人物だったのか、前述したように私は知りません。
でも、見てて、イーサン・ホークがチェット本人であるかのように思えて仕方がない。
それほどまでに彼の演技はナチュラルで、プレイヤーそのものだった。
彼の出演がこの映画のボルテージを1段階も2段階も底上げしていたことは間違いありません。
イーサンの存在感だけで、さしたる意外性のないシナリオが俄然色を帯び、熱を放ってくるんです。
で、それが結実したのがエンディングでしょうね。
ジャズ界の大御所マイルス・デイビスが見つめるバードランドのステージで、チェットが楽屋から出られなくなるんです。
わかりすぎるほどわかる迫真の演技。
そして彼が最後に何を選んだのか、これが私にとってはいささか予想外の展開でもありました。
映画の流れ的にはそっちじゃないだろう、と思いつつも、バンドマンとしてかつて末席を汚した人間としては、ひどく納得できるものがあったり。
ラストシーン、苦悩の数十年をすべてをご破算にしても最高のプレイをしたいと願うミュージシャンの業の深さ、どうしようもなさが見事に表現されていたように思います。
もし私が同じシチュエーションに置かれていたら、彼と同じことをやらない自信はない。
ミュージシャンという表現者の、紙一重な危なっかしさを、知ってる人間が見ても嘘くさいと感じさせない一作でしたね。
カタルシスを得にくい部分もあるかもしれませんが、プレイすることでしか生きていけない人間の実像に迫った秀作だと思います。
終始落ち着いたトーンで断片を拾い集めるような作りの構成も、この映画に限っては効果的だったかな、と。
音楽を題材にした映画は色々心惑わされるものがあるんで基本的には見ないんですが、本作にはつまらぬ雑感をねじ伏せて惹かれるなにかがありましたね。
視聴後、チェット・ベイカーのカタログを物色したくなる一作です。
ボーン・トゥー・ビー・ブルーのフレージングが今も耳の奥でぐるぐる回ってます。