2011 アメリカ
監督、脚本 テレンス・マリック
厳格で父権主義まるだしな父親と、3人の息子のしんどい関係を描いた家族ドラマ。
見事に評価が真っ二つに別れてる作品だと思うんですが、ぶっちゃけ私は初見でこりゃ天才!と思ったクチ。
なんか体力が必要そう、と長年敬遠していた作品なんですが、こんなことならもっと早く見ときゃよかった、と。
同業者からの評価が高い監督ですが、確かにこりゃ凡人じゃ撮れんわ、すごいなテレンス・マリック、と今更ながら唸りましたね。
ま、紙一重、と言っていいのかもしれないですけどね。
多分否定派の多くの人たちは、その紙一重な部分に引っかかってるんだと思います。
ものすごく乱雑に推測するならね、本筋である「親子の物語」が随所で中断され、突然海中と海洋生物の映像や、宇宙、火山、マクロ化した細胞活動?の映像みたいなのが挟み込まれるのが、まったくもって意味不明で気に食わないってことなんだろうなあ、と。
そりゃわかる。
その一点のみに着眼して「環境ビデオかよ」「ネイチャードキュメンタリーもどきの実験映画」と揶揄したくなる気持ちはよくわかる。
ただね、ちゃんと見てると、一見無関係な環境ビデオ風の映像がね、実は純粋に自然そのものを切り取ったわけではないことに気づくだろうと思うんです。
恐竜みたいな生き物も出てくるからね。
そこに暗喩や隠された意図を嗅ぎ取れ!・・・ってわけじゃないんだけど、お茶を濁してるんではなくてね、少なくともテレンス・マリックなりの必然があった、と断ずることは可能だろうと。
わからないであろうことを含め、あえてそういう構成にしたことによって監督は何を表現したかったのか?それ込みでのツリー・オブ・ライフだと思うんですね。
というのも、本筋のドラマ部分の出来栄えが尋常じゃなかったから。
カット割りの細かさもさることながら、ここまで行間を読ませるドラマ作りを私は久しぶりに見た気がした。
不親切、というわけじゃなくて、集中しないと置いてくよ?とにっこり肩に手をかけられたみたいな。
セリフがすべてじゃないんですよ。
すべてでであなたに語りかけるから、あなたもちゃんと見てね、って感じ。
なんだかヨーロッパの監督の映画でも見てるかのような。
どこかヌーヴェルヴァーグにも近いような気がしましたね、私は。
一つ一つのカットに対するこだわりも普通じゃない。
どう見えるか?ってことをすごく考えてると思うんですね。
で、そこまでやれる監督がね、安易に実験映画でお茶を濁したりはしないように私は思うんですよ。
なのでこの作品をベテラン監督の手慰みだとか、単なる独りよがりだと批判するのは間違い。
おそらく、やりたいことを形にしきれなかった、が正解。
題材と方法論がまだ馴染んでなかった、と言ってもいいのかもしれない。
そういう意味では確かに実験的なのかもしれないですけど、私はむしろこれを過渡期の作品、と位置づけたいですね。
いるんですよ、音楽の世界でも、昨日までエクストリームミュージックやってたやつが、突然ヒーリーングミュージックに目覚めてあっちの世界に行ってしまった、みたいな例が。
多分すべての答えはボヤージュ・オブ・タイム(2016)にあるんじゃないか?という気がしますね、私は。
散文詩のような作品ですけどね、世界と死を、2つの領域で対比させた芸術的イマジネーションあふるる一作だと思いますね。
こういうのをアートとよぶのでは、と私は思います。
イランのバフマン・ゴバディとか、すごい影響受けてる気がしますね(無関係だったらすまん)。
あんまり広くはおすすめできない感じではあるんですけど、本物の映像作家が撮った美的な作品であることは間違いないんで、スルーするのはもったいない、とだけ。