監督 ポン・ジュノ
脚本 ポン・ジュノ、シム・ソンボ
80年代に韓国で10人の犠牲者を出した華城連続殺人事件を題材とした実話もの。
登場人物や背景に改変はあるみたいですが、事件の経過は概ね事実に沿っているようです。
刑事の目線を通して事件は描かれていくんですが、ポン・ジュノがすごかったのは、こんな「笑えない」事件を、コメディタッチで演出していること。
この映画が公開された時点で華城連続殺人事件はまだ未解決なんですよ。
つまりは、憤懣やるかたない思いを抱えた遺族が現実に生きてるということであって、よくまあクレームがこなかったものだな、と。
これ、日本やアメリカだったら「被害者感情に配慮して」とか、関係者が予防線張るのに大わらわだったんじゃなんじゃないか?と思いますね。
だって、下手すりゃ訴えられかねない。
そのあたり、微妙に非難をかわせるように設定を変えてきた、ということなのかも知れませんけどね。
韓国の場合、映画は映画と割り切ってるのかも知れませんけど。
とりあえず私が失笑したのは、最初に捜査を担当した刑事のでたらめぶりですかね。
これが80年代における韓国の田舎警察の実態なのかも知れませんけど、何の証拠もないのに「被害者につきまとってた」ってだけで、精神薄弱気味な男を捕まえてきて暴力で自白させようとするんですよ。
障害者の人権もクソもあったもんじゃない。
挙げ句には被疑者に滞空時間の長いドロップキックを見舞ったりする。
いやいやこんな場面で笑いをかっさらおうと画策しなくてもいいから、って話だ。
そりゃ事件も迷宮入りにもなるわ、と納得のポンコツ刑事ぶり。
ただ、そのままおちゃらけでシナリオが進んでいかないのが、この映画の怖いところでして。
だんだん笑えなくなってくるんです。
これまでのやり方では手に負えない、と関係者誰もが自覚しだす。
それこそ終盤における、気持ちのささくれ立つような緊張感と来たら欧米の類似作にも肩を並べるレベル。
どうしても犯人の凶行に先回りできない田舎警察の焦燥と絶望がクライマックスでは炸裂してます。
なるほど、前半を笑いで包んだのも解せるな、とここまで見て私は納得。
これ、最初から深刻にやってたらとてもじゃないけど最後までもたないですよ、重すぎて。
軍事政権下にあった閉塞的な時代背景にも言及しなくちゃならなくなる。
サスペンスとしてエンターティメントを意識するならこれで正解だったのかもしれません。
で、問題なのがエンディングでして。
なんだこれ、尻切れトンボ気味だなあ、もう少しスッキリさせてくれてもいいのになあ、などと私は思ってたんですけど、あとからネットで調べてみて、ラストシーンのもつ意味に気づいて愕然。
見破れなかった自分を恥じたい。
ヒントは前述したとおり、この殺人事件が公開時、まだ未解決だったこと、及び、最後に男は誰に目線を向けていたか、でしょうね。
えっ、メタなの?って。
ただ者じゃないですね、ポン・ジュノ。
文句なし傑作。
余談ですが、2019年に華城連続殺人事件は犯人が特定され、一応の解決を見てみます。
もし監督がそれを知った上で映画作りをしてたらどうなってたか、興味はつきませんね。