スタンダール・シンドローム

スタンダール・シンドローム

イタリア 1996
監督、脚本 ダリオ・アルジェント

連続レイプ殺人犯を追う女刑事の悪夢を描いたサスペンス。

えーなにをどうしたかったのかよくわからない、というのが正直なところでしょうか。

断片的に追うなら悪くないんです。

スタンダール・シンドローム(絵画を見ていると絵の中に引き込まれそうな錯覚を起こして混乱状態になる精神疾患)などというマイナーな奇病を持ち出してきて、それに苦しむ主人公女刑事、という人物設定は独特だったと思いますし、連続殺人犯のターゲットがやがて女刑事に向く、というくだりもそれなりにハラハラさせられるものがあった。

でもアルジェントは自分で用意したお膳立てを、1時間程度経過した時点で一旦全部終息させちゃうんですね。

あれ、どう考えてもここで終わりだよなあ、でも続くみたいだなあ、何がこれ以上あるというのだ?と小首をかしげながら見てたら、思わぬどんでん返しが待ち受けているわけでもなく、全く別のお話で再びエンディング。

脳内を飛び交う無数のハテナマーク。

なぜ、この内容で第一部と第二部みたいな感じで物語を二層構造にする必要があるのだ、と。

そりゃ章立てすることで貫禄が増す場合もあるのは認めますが、全く別の主題を抱えるストーリーを強引につなぐことを一作品とは呼ばないわけです。

おそらく監督は病に苦しむ女刑事のもろさ、危うさをテーマとしたかったんでしょうけど、そこに観客が気づくまでの道筋が不案内すぎるというか、経路を作り手が把握してないというか、とかく混乱気味。

はいここが頂上ですよ、って看板立てておきながら、後から実は7合目でした、みたいなことをやってるんですね。

作劇の不手際、この一言につきますね。

雑だとか、煮詰めきれてないとかじゃなくて、根本的なところでしくじってる。

なのでせっかくの伏線や、布石もまるで効果的に機能せず、なにもかもがとっ散らかった有様に。

ネタバレになっちゃうんで詳しくは書けないんですが、この体たらくを解決するのは実は簡単で、1時間弱の時点でのピリオドらしきものを最後のエンディングに重ねりゃ良かっただけなんですよね。

それができてたら、あっと言わされる優れたサスペンスに化けていたはずだと思えるだけに残念。

唯一の見所は監督の実の娘であるアーシアの熱演でしょうか。

情緒不安定で落ち着かない女刑事役を見事に演じきってます。

彼女が居なければ大変な事になってたのは間違いない。

監督お得意の「嗜虐的に翻弄されるヒロインを描く」上で、女刑事と言う法の番人的役どころが彼に迷いを生じさせたのかな、なんて思ったりもしました。

余談ですがアルジェント作品の割には視覚的にキツイ描写は殆どありません。

本格的なサイコサスペンスにしたかったんでしょうが、前述したように破綻してる、というのが実状でしょうね。

90年代カテゴリの最新記事