アルゼンチン 2019
監督 マルセロ・パエス・クベルス
脚本 マティアス・カルーゾ
魔女の血をひく女が、誘拐された娘を探し出すために己の能力を全開放して執念の追跡者となるお話。
さらっとあらすじを読んだ限りでは「なるほど、そうきたか!」と思ったんですよね。
リーアム・ニーソンの過去作をあげつらえるまでもなく、理不尽にさらわれた肉親のためにパパ(ママ)が過去の特殊技能を活かしてプロ顔負けのハンターと化す!みたいな映画はここ数年、大量に制作され、さすがにもう食傷か、と感じていた矢先でしたから。
また韻を踏むのか?と思わせておいて、今度の主役は元CIAでも元軍人でもなく魔女、ときた。
やるな、アルゼンチン、と。
いやまあ、アルゼンチンがすごいわけじゃないんでしょうけど、まさかこの手の追跡劇にブラックマジックを持ち込んでくるとは思ってなかったものだから。
発想は悪くない、と思うんですよね。
きっともう、すごいことになるんだろうな、と。
なんせ魔術ですから。
共謀した連中の首とか、無作為にちぎれ飛んじゃうんだろうな、と。
そりゃもう首謀者なんて阿鼻叫喚の地獄絵図な死に様を迎えるに違いない、と。
R指定されてないけど、大丈夫なのか?といらぬ心配をしたり。
気分はもう完全にオーメン(1976)とかエクソシスト(1973)とか、あの手のホラーを視聴する感覚。
さあこい!切り株映画!とばかりにテンションはうなぎのぼりですよ。
ところが、だ。
いざ蓋を開けてみると、序盤からなにやら妙に不憫で哀れな感じで。
主人公である魔女の末裔、セレナなんですが、いかがわしい術を使う、ってことで地元の人々から迫害されてたりする。
お店でまともに物も売ってもらえない始末。
当然うちは貧乏、娘には携帯も買ってやれない。
警察ですら、なかなかセレナの言うことを信じようとしない。
追い詰められた挙げ句、しかたなく魔術に頼って、か細い手がかりを追っていく、って風なんですね。
しかも肝心の魔術、あまりにもできることが少なくて。
どうやらいちいち供物(自分の血とか)を捧げないと、強力な力は発揮できないようで。
セレナ、追跡途中で早くもボロボロですよ。
あれ?なんか違うぞ、これ?と。
魔術が己の首を絞めとるやないかーい、と。
物語の顛末も、とてもじゃないけど、さすが魔女!と言えるようなものではなくて。
狡知な計略をささやかな魔術がお手伝いして、取引の末、ようやくなんとかなったみたいな。
なんてカタルシスを得にくい映画なんだろう・・と私は別の意味でびっくりしましたね。
誰もこの作品に、異端として生きていくことの苦悩とか悲哀を求めてない、と思うんですよ。
主人公、普段は能力を封印してるが、今回は禁忌を破って全員皆殺しにする、ぐらいの勢いでちょうど良かったと思うんですよね。
石もて追われるシーンを描きたかったのなら、その後存分にやればいい。
誘拐事件の追走劇というプロットと、追うものであるキャラクターの人物設定が噛み合ってない一作だと思います。
これなら普通の主婦が知略を尽くし、非力ながらも一矢報いるパターンにしたほうが、余程やりたかったことは伝わった、と思いますね。
残念。
私の一方的な思い込みが評価を歪めてるのかもしれませんが、可哀想な魔女の物語は別の映画で見たかった、と思った次第。