アメリカ 1942
監督 アルフレッド・ヒッチコック
脚本 ピーター・ヴィアテル、ジョーン・ハリソン、ドロシー・パーカー
飛行機工場で起こった爆破事件の犯人に仕立て上げられた主人公が、真犯人を暴くべく、僅かな手がかりを追って逃走の旅を続けるサスペンス。
逃亡者(1993)とかお好きな方はたまらん一作でしょうね。
戦時下でのお話なんで、ナチの破壊工作組織が暗躍していたり、イデオロギーが極端だったりと、時代を感じさせる部分はもちろんあるんですが、それでも普通にスリリングで面白い、ってのがさすがヒッチコック先生。
ちょっと都合よくお話が進み過ぎか、と思ったりもするんですが、序盤で「誰一人として信用できない」と観客に思わせておきながら、意外にも、市井に生きる一庶民が善意から主人公の手助けをする胸の熱くなる展開がその後に待ち受けていたりもして、ああ、うまいなあ、と。
なんせ戦時下ですからね、人のことにかまってる場合じゃないわけですよ。
なのに社会的弱者だと思われるような人物に限って、見返りを求めず主人公を匿ってやったりする。
美化しすぎなのかもしれませんし、性善説が匂い立つようで鼻につく人もいるかも知れませんが、先入観やメディアの垂れ流す情報に惑わされず、自分の見識眼を信じる生き様は、これこそ民草の矜持だよなあ、と私は思ったりもした。
いささかステロタイプではあるんですけどね、金持ってるやつに限ってろくなことしない、ってのは現代にも通じる市民感情かな、と思うんですね。
中盤での白眉は、サットン夫人が主催するパーティ会場から、逃げられなくなる主人公とヒロインのシークエンス。
実はサットン夫人も含め、パーティを催す側の人間たちは全員がナチスの手先。
参加者はそんな裏事情なんざつゆ知らず、お酒とダンスに興じている。
参加者に主催者側の秘密を知られるわけにはいかないんで、一緒になってパーティを楽しんでる分には安全なんですが、屋敷からは一歩も外に出られない状況なわけです。
楽しげな喧騒に包まれる会場の雰囲気と、焦燥感に駆られ、必死に突破口を見出そうとする主人公のギャップがもう、とんでもない緊張感でして。
また、そんな危地にあってすら、数秒後には霧散するやもしれぬ刹那の愛を監督は演出しようとする。
ヒッチコック先生、独壇場。
残念ながら、目を見張るような驚愕の展開は待ち受けてないんですけど、シチュエーションだけで全部もっていかれるとはこのこと。
後半の展開も、飽きさせることなく大仕掛けの目白押し。
戦艦の進水式を爆破するシーンもなかなかの迫力(この時代にしては)なんですが、オーラスで自由の女神を引っ張り出してくる、ってのには恐れ入った。
これ、有名な場面らしいですね。
しかし109分の映画にここまで色んなアイディアを詰め込むのか、と。
唯一、物足りなかったのは、主人公とヒロインのラブロマンスを物語と同時進行させておきながら、中盤以降はほとんど二人が絡まなかったこと。
別々の場所で、別々に悪戦苦闘してたりするんですよね。
なんでそんなもどかしいことをわざわざ尺使ってやってるのか?がよくわからない。
あんまりハードル上げすぎると小さなアラが目についたりするかもしれませんが、いわゆる「濡れ衣を着せられた容疑者が無実を晴らすサスペンス」としては文句なしに秀作だと思います。
40年代にこんなことやられちゃ、後続は頭抱える、ってなもの。
見て損はない一作だと思いますね。