悲夢

韓国 2008
監督、脚本 キム・ギドク

詳しい経緯は知らないのだけど、なぜかオダギリジョーが主演。

ギドク監督が3年に及ぶ隠遁生活に入る直前に撮られた作品なんですが、まあ、この出来じゃあ山にこもりたくもなるわなあ、と少し思ったり。

オダギリジョーは完成した本作を見て、いったいどう思ったんでしょうね?

わざわざギドク作品のオファーを受けた、ということは、彼の才能を認めている、ということでしょうし、なにかしら思うところはあったはず。

私なら激しく後悔しそうですけれども。

この映画を「美しい」とか「幻想的」だとか、肯定的に捉える人もそれなりにいらっしゃいますが、私に言わせるならこりゃ三文SFですね。

ファンタジーですらない。

多分ギドクは韓国版胡蝶の夢を気取りたかったんでしょうけど「他人の夢に操られる夢遊病者の女」という設定そのものがまず回りくどいし、そこからまるで発展していきそうな気配がないのが最大の難点だと私は思う次第で。

奇妙な偶然、不可解な都市伝説でしかないんですよ、ネタそのものが。

不思議なこともあったものだね、で全部終わってしまう。

これが「夢を共有する」なら、まだわかる。

そこからさらなる精神世界の深淵へと、物語をすすめることもきっと可能だったことでしょう。

けど、夢に操られる、ってなっちゃうと、目的意識不在のままじゃあどうにもならない、ってのが実情だと思うわけで。

もはやそれって呪法にも近い部類だったりしますから。

で、ギドクはどうしたか?というと、おかしな精神科医を登場させて「二人が愛し合ったら夢は消える」と宣わせる。

もうこの段階でデタラメ。

そんな馬鹿なことを言う精神科医は文明社会に存在しないし、それを真に受ける人もまず居ない、って話で。

ウィッチドクターの託宣を伺う未開の土着民族じゃないんだからね。

無理やり愛の物語にしようとする意図が恥ずかしいまでに丸見え。

で、このプロットの一番大きな失敗は「いやいや、昼夜交代で寝ればいいだけじゃん」と安易につっこめてしまうこと。

なぜそこに観客が気づかないと思う?と私は本当に疑問で。

なのに、だ。

主演のオダギリジョーは「君を操らないためにも、僕はもう眠らない」とか、言い出すんですな。

なんて非科学的な底なしのバカなんだろう、と私は心底呆れた。

ドラえもんのポケットの中にすら、永遠に眠らないための道具なんてねえぞ、って。

そこからは悲劇一直線。

都合よく事態が好転するはずもなく。

ああ、きっとひどいことになるなんだろうな、と思いつつも、全く感情移入できない自分がいる。

ま、一言で言っちゃうなら茶番ですね。

勝手に自分たちの世界に酔っちゃってる登場人物たちが、ギドクの陳腐な妄想の掌中で踊ってる。

弓(2005)あたりから、大丈夫かギドク?と新作を見るたび懐疑的になった私ですが、ついに底が割れたか、って感じですね。

ギドクにファンタジーやSFは撮れない、を痛感した一作。

あと、オダギリジョーが日本語で話してるのに、なぜか韓国語を話す韓国人と会話が成立してるアバウトさが私には受け入れ難かった。

これも手法なのかもしれませんけど、それが胡散臭さを助長していたのは確か。

駄作。

よくぞここから嘆きのピエタ(2012)で挽回できたものだ、と思いますね。

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