オーストラリア/カナダ/アメリカ 2018
監督、脚本 ジェニファー・ケント
イギリスの流刑地となっていた19世紀のオーストラリア、タスマニア島を舞台とした復讐劇。
主人公は、仮釈放を認められたアイルランド出身の一児の母クレア。
そもそもなにゆえ夫も含めて、一家まるごと流刑地送りになってるのか、よくわからないんですが、なんせ19世紀のお話でアイルランドですんで、きっとろくでもない弾圧があったんだろうなあ、と想像するにやぶさかではありません。
で、クレアの一家なんですが、仮釈放が認められているというのに一向に流刑地から出してもらうことができずにいます。
というのも、島を統括するイギリス人大尉がクレアに目をつけてて、気の赴くままに陵辱を繰り返していたから、なんですね。
大尉はストレス解消にぴったりなクレアを手放したくないわけです。
もちろん夫は、そんなこととはつゆ知らず・・な状態でして。
なぜ、大尉は仮釈放を実行してくれないんだ!と憤ってる。
はっきり言って、クレアにしてみりゃ生き地獄。
どこにも活路を見いだせない。
ある日、ついに我慢の限界に達した夫の怒りが暴発する。
もう、嫌な予感しかしません。
勢い任せの怒りがなんとかできるような状況では決してなくて。
待ち受けていたのは、生き地獄を流血で上塗りする酸鼻の極み。
そして一人、取り残されるクレア。
もう、この段階で私は映画一本見終わったような疲労感を味わってた。
遠慮呵責なく、悪夢を地で行く惨劇模様。
また、イギリス人大尉が清々しいほどに人の心を持ち合わせぬ鬼畜生でして。
これほどまで一切他者を省みぬ典型的なヒールはここ最近お目にかかったこと無いぞ、ってなぐらい悪逆非道。
そりゃいかに徒手空拳でなんの後ろ盾がなくとも復讐に立ち上がるわ、と私でも思う。
北部の中心都市に向かった大尉を追って、クレアは単身、その後を追跡します。
協力者は道案内の報酬を約束したアボリジニの黒人、一人だけ。
前半の濃厚な展開に結構疲れてはいたんですけどね、それでもここまでの進行がかなりスリリングだったことは確か。
だってね、どう考えたって返り討ちにあう可能性のほうが高いわけですよ。
大尉は一人で旅してるわけじゃないし、クレアが暗殺術に長けている、というわけでもないし。
しかもアボリジニはクレアを信用してないし、クレアもアボリジニを雇用したかのような感覚でいる。
十分な食料もない、宿もない、強力な武器があるわけでもない、燃え盛る復讐心だけがクレアを突き動かしてる。
いったいどうなるんだこの物語?と先の展開の予想が全くつかない。
最終的に見事復讐を遂げました、よくやったクレア、過去を精算して強く生きろ!みたいな場所に着地するはずがないのは自明の理。
そんなシンプルなリベンジものエンターティメントじゃない。
いささかキャラクター設定が、ステロタイプに極端すぎるように思えたとしても、だ。
そしたらですよ。
肝心要の千載一遇なチャンスを目の前にして、クレアは予想外の行動に出ます。
うわ、これはとんでもなくややこしい方向に話を進めてしまってるぞ監督は、と私は一人焦る。
そこからのシナリオはほぼテーマ不在。
いや、監督が考えてる事はわかるんですよ、鋼鉄の意志を保つこと自体が実は困難であり、現実はそう簡単に超えてはいけない一線を、普通の女に安々と超えさせるものではない、とでも訴えたかったんでしょう。
でもそれならそれでね、クレアの「恩讐の果て」を何らかの形で観客に提示しなけりゃならなかった。
別人物の代替行為で良し、としちゃってるんですよね。
いや、それは違うだろう、と。
偶発的行為の産物を、必然のように描かれてもくすぶるものがのこるだけ。
自分たちの土地を奪われた挙げ句、奴隷のような扱いを受けるアボリジニの苦難と、クレアの置かれた立場をシンクロさせていくような作劇は素晴らしかったですし、終盤の農家での食事のシーンなんて屈指の名場面、と思うんですが、よりにもよって着地点を見誤った印象ですね。
なんともスッキリしない一作。
監督の高い力量を感じさせる作品ではあるんですけど、まとめきれなかったか、と。
見ごたえがあっただけに残念。
ちなみに、映画の解説にある「過激な内容とバイオレンス描写で物議を醸し」ってのはちょっと大げさです。
どこか文芸路線な匂いも私は感じたりしましたね。
次作に期待、でしょうか。