アメリカ 2018
監督 スパイク・リー
原作 ロン・ストールワース
白人至上主義団体KKKに潜入捜査する黒人刑事を描いたサスペンス。
しかしまあこれが実話だってんだから本当に恐れ入る。
厳密に言うと潜入捜査するのは同僚の白人刑事で、黒人刑事は電話の応対に徹するのみなんですが、よくまあこんな危険な任務を上層部は許可したものだな、と。
なんせあの悪名高きKKKですしね、しかも70年代、身バレした途端に問答無用で殺されても全然おかしくない。
あれこれ改変、脚色されてる部分はたくさんあるみたいですが「人種差別団体に差別されてる当の本人が素知らぬ顔で潜入する」という置換の構図は他を寄せ付けないスリルがあったように思いますね。
さらに私が感心したのは、スパイク・リーがこの強烈な皮肉たっぷりの映画をエンターティメント風に仕上げてること。
ちょっと笑えたりもするんですよ。
しゃれにならんテーマを真正面から扱ってるというのに。
監督も老成したなあ、と思いましたね。
彼のフィルモグラフイーをすべて追っているわけではありませんが、初期のドゥ・ザ・ライトシング(1989)やマルコムX(1992)なんて強烈なメッセージ性に打ちのめされるような映画でしたしね。
一貫して黒人差別問題と戦ってきた監督、といった印象。
それが今回に限ってはどこか全体を俯瞰するような目線がある。
KKKがどうしようもないレイシストどもなのは間違いないとしても、ブラックパワーを声高に叫び、白人と戦おうとする黒人たちにも懐疑の視線を向けている節があるんです。
それは主人公である黒人刑事のスタンスに、如実に表れていて。
黒人差別撤廃運動の指導者であるクワメ・トゥーレの演説に主人公は心動かされながらも、黒人たちからピッグと蔑まされる警官であることに誇りを持っていて、ただラジカルに突き進んでいくことだけが正しいとは思えない、と悩むんですよね。
単に白人との協調路線を支持してた、ってだけのことなのなのかもしれませんが、アメリカにおける差別問題の凄惨さをしらない他国人からすればこの立ち位置は、歴史の理解度を深めるための助けとなる。
1915年に発表され、映画表現の基礎になったと言われる「國民の創生」に関する黒人側の解釈や、ジェシー・ワシントンリンチ事件についての描写が挿入されているのも、私にとっては啓蒙を促すものでした。
ただね、この作品を、併せ持ったエンターティメント性だけに寄りかかって最後まで見ちゃうと、ちょっと物足りないと感じる部分もあるかもしれません。
潜入捜査が大詰めを迎えたのち、大きなカタルシスを得るエンディングは待ち受けてないんですね。
一矢報いたにしてもあの落とし所ではどこか消化不良なものが残る、という人もきっといることでしょう。
そこは実話ゆえの譲れぬ不自由さなのかもしれませんけどね。
あと、最後の最後で物語は現実へとカメラの向きを変えるんですが、これもなにかと悩ましい構成だな、と思ったり。
エンドロールまで映画の文脈で語ってほしかった、というのはどうしたってあると思うんですよ。
もちろん監督があえてそうしたことによって、何を訴えたかったのはよくわかります。
「あいつが大統領に就任したことで時代がまた逆行したじゃねえかよ!」ですよね。
KKKが真っ先に支持を表明したことからも、その背景にあるものは明らか。
で、それこそが今、スパイク・リーがこの映画を撮った意味、そのものなんでしょう。
強烈な批判精神をもった作品であり、娯楽性をも兼ね備えた稀有な一作だと思いますが、見る人によっては評価が割れそうな気もしますね。
けれど、これはスルーしちゃ駄目な映画。
見ておくべき、そんな風に私は思いました。