1967年初出 手塚治虫
魔物に呪われたせいで体の48カ所を欠損した状態で生まれた百鬼丸の、魔物退治の旅を描いた異色の時代劇アクション。
なぜかタイトルは旅のパートナーであるどろろの名を冠してあるんですが、そのあたりの意図は不明。
少年サンデー連載当時は、暗い、と不評だったらしいんですが、何故これが不人気だったのか不思議でなりません。
数ある手塚作品の中でもダントツで独創的で、見事な設定、プロットだと私は思います。
目も耳も口も利けず、臭いも知らない、手足もない、まるでダルマのような子供が、異端の医師、寿海に拾われなんとか人の姿に仕立て上げてもらうオープニングは、まるで後のブラックジャックにおけるピノコ誕生のシーンを見るかのようですし、さらには、不具であることに甘んじず、義手義足の状態で自分の体を奪った妖怪を倒すために旅に出る、という筋立ても先の展開を期待せずにはいられない見事なストーリーテリング、といえるでしょう。
もうこの時点でぐいぐい作品に惹きつけられている自分が居るわけです。
百鬼丸の旅はもう設定そのまま自己再生の旅なんですね。
ある種のロードムービーにも似た哲学性を併せ持つ。
先生は体全てを取り戻した百鬼丸を描いて、その奇怪な旅の答えを読者に示すべきだった、と思うんですが、残念ながら本作は未完。
もしこれが完結していたらもうとんでもない傑作になっていただろうなあ、と思われるだけに本当に残念。
しかしながら既刊4巻分、描かれたその旅の断片は、旅を完遂するまでは異形として生きるしかない百鬼丸の苦悩に始まり、どろろの存在そのものに対する問いかけ、愚かな司政者に対する痛烈なアイロニー等、読み所満載で、一切の隙なし。
手塚作品の中でもトップクラスの傑作だと思います。
余談ですが、07年に映画化されたどろろは、お前はこの漫画の何を読んでいたんだ、と激昂したくなるほどの駄作なんでご注意。
コメント
[…] それぞれのメディアから相互の流入があったのか、何度も再単行本化された人気作ですが、初読時、 えーこれ、手塚先生のどろろそのままじゃないか、と言うのが私の第一印象でした。 […]