アメリカ 1971
監督 ドン・シーゲル
脚本 ハリー・ジュリアン・フィンク、R・M・フィンク、ディーン・リーズナー
みなさんご存知、70年代に刑事ものブームを巻き起こし、イーストウッドの名を不動のものにした有名作。
今回久しぶりに見直してみたんですけど、あーやっぱりこの映画は良く出来てる、と感心することしきり、でしたね。
はみ出し刑事の捕物を描くにあたって、お手本となる仕上がりだ、とつくづく思った。
そりゃみんなマネするわ、と。
やっぱりね、犯人の非道さに対して観客に憤りを感じさせるシーゲル監督の手管がもう職人技というか。
異論の余地なく、こいつはクソだ、とはっきり伝わるってのは大きかったと思うんですよ。
けれども上層部は市民感情や対面を慮り、犯人にも人権がー、証拠がー、みたいなことを言い出す。
ハリーは言い放つんですな。
「あいつは必ずまた殺るぜ」
これ、ハリーの直感みたいな描かれ方してますけどね、実はそこまで映画を追ってきた観客の心情を代弁している以外のなにものでもないわけで。
何が上手いって、観客を物語世界に引き込んで掌の上で転がすこと、に他ならないですよね。
悪を悪として裁けない法の矛盾を、たったひとりの男が身を挺して風穴を開けるシナリオ展開が、そのまま見てる側のフラストレーションを問答無用で昇華させる仕掛けになってる。
過剰に現実離れしすぎてないのも良かったと思うんです。
えてしてこういう作品って、漫画チックになりがちですから。
対立構造は明確に、キャラはやや盛り気味なぐらいで極端に描かれてるんですが「ありえないだろ、それは」ってつっこまれそうなことは絶対にやらない。
ちゃんとサスペンスなんですよね、刑事物である以前に。
また、イーストウッドが要求される刑事像に見事答えていた、というのも素晴らしかった。
はみだしちゃあいるんですが、粗暴でも猪突猛進でもなく、譲れぬ信念と誇りを重んじる大人の男である、と感じさせてくれるのがね、なんともしびれるといいますか。
終盤、バスを橋の上で待ち受けるハリーのシーンなんて、もうかっこよすぎて鳥肌ものです。
かつて同監督とイーストウッドがコンビを組んだマンハッタン無宿(1968)の煮えきらなさを吹き飛ばすかのような快作、文句なしですね。
ストーリーのメリハリと地に足の着いた演出の堅実さに脱帽です。