オーストラリア 2016
監督 ガース・デイヴィス
原作 サルー・ブライアリー
不意なアクシデントから国をまたいで生き別れとなった母子の再会までを描いた物語。
ネットの弊害が声高に叫ばれがちですが、こういう作品を見ると、テクノロジーの進歩って素晴らしい!などと、70年代風な全肯定感にひたってしまいそうになりますね。
実質題材としているのは、昔、テレビ番組なんかでよくあった「それは秘密です!」的な涙の再開ものでしかないんですが、それもインドとオーストラリアに離れて25年ぶり、ときては実話ならではの驚きを禁じえません。
そりゃラストシーンは涙腺にきますよ。
いつか子供はきっと帰って来る、と信じて村から離れようとしなかった母の思いと息子の執念が奇跡的に交錯した瞬間を描いてるわけですから。
私みたいなひねくれ者でも素直に「ああ、よかったね」と鼻をすする有様。
ただですね、映画としてどうなんだ?と考えるなら、まだまだ改善の余地があるような気がしなくはない。
実話に忠実であろう、としたんだと思うんですが、必要ない、と思えるシーンが割とあるんですよね。
特に主人公の弟に関する描写。
養子縁組先での家族の問題をストーリーに編み込みたいなら、それが再会への後押しなり、理由付けなりになってなきゃいけない。
別物のまま終わっちゃってるんですね、弟の問題が。
主人公が再会したことで、育ての母の心痛が弟ごと救われる、もしくは昇華しないならわざわざ描く必要はないんであって。
ガールフレンドのことにしたってそう。
ただ振り回されてるだけじゃないか、で終わり。
エピソードのひとつひとつが主筋にちゃんと絡んでこないんですよね。
あったことをそのまま書くのは日記であって、物語ではないわけで。
主人公の少年時代を追ったインドでの出来事が真綿でくるんだかのように遠回しなのも気になった。
インドの底辺層の生活の悲惨さをご存じの方からすれば、旅行者が外側から推移を見守ってるだけのようにしか映らないんじゃないか、と私は思うんですね。
徹底してリアルに描け、って言ってるわけじゃないんですが、少年が大都市コルカタに1人で放り出されることの危なさ、恐ろしさはこれじゃあ伝わってこないんじゃないか、と。
主人公サルーが育ての親に巡り合うまでに辿った経緯って「奇跡的な運のよさだった」というのが実状なはずなんです。
そこをきちんと落差をつけて描写してこそ観客はストーリーに引き込まれるわけで。
また、高い頻度で過去のシーンをオーバーラップさせてくるのもあんまり利口だと思えなかった。
こういうのはここ一番でやるから感動的なんであって。
正直、中だるみ気味、と思うこと数度。
ま、よくあるケースですけどね、実話であることに寄りかかりすぎちゃってるんですよね。
ひとり気を吐いてたのはニコール・キッドマンですかね。
なんかもう貫禄、と思った。
何年たっても全然老けないのが妖怪じみた印象を抱かせたりはするんですけどね。
いいものを見た、という人達の賞賛をくさすつもりはないんですが、これなら映画という媒体でなくともよかったのでは、とちょっと思ったり。
監督は次で真価を問われるでしょうね。
原作の信じられなさに救われた一作、というのが私の結論。