ドクター・ストレンジ

アメリカ 2016
監督 スコット・デリクソン
脚本 スコット・デリクソン、C・ロバート・カーギル

ドクター・ストレンジ

ドクターでストレンジときたら博士の異常な愛情だろうがよ!と思うのは私が古い映画ファンだからです、すいません。

まあ、それはさておき。

本作、満を持して映画化されたマーベル・シネマティック・ユニヴァーズ14作目にあたる新顔なわけですが、ドクター・ストレンジのキャラクター自体は結構古くて初登場したのは1963年だとか。

肝となるのは60年代のキャラをどうやって現代に蘇生させるか、だと思うんですが、とりあえず映像面でのこだわりは目を見張るものがありましたね。

序盤の交通事故のシーンも凄まじかった(生きてるのがおかしいレベルで)んですが、ビルの壁面を重力無視で駆け回り、魔術をぶつけ合う戦闘シーン、これ見たことのないような絵を作り上げていたように思います。

アクションゲームといえばそうなんでしょうけど、幾何学模様を地で行く予測不能な背景構成は相当練られてるように感じました。

もう、この世の風景に思えないんですよね。

ラリって飛んでしまったらこんな幻覚を見てしまいそうな。

かといってサイケってわけじゃない。

いかにもコンピューターで作り上げた精密な計算がそこにはある。

どうCGを使いこなし、観客を驚かさせるか、と言う意味において「異次元的」な印象を強く与えたことは賞賛されてしかるべきかと。

そこには作品のモチーフに対する理解度の深さがある。

ただ、問題なのはモチーフである肝心の「魔術」、それをどう読み解いていたのか、という点。

やっぱりね、西洋人がアジアのオカルティズムに対して抱く根拠のない畏怖、憧憬がそのまま反映されていたことは否めないように思います。

インドでチベットで導師がいて修行、って、もう70年代のヒッピー文化から全然進歩してないですよね、はっきり言って。

インドではなにか不思議な呪術体系が隠れて一部で伝承されてる、なんていまだに信じてるのは前時代のヤク中ぐらいのもので。

インド人ですら「何を言ってるんだお前は?」と笑い飛ばすレベルの妄想ですよね、今となっては。

神秘主義には神秘主義なりのもっともらしさが必要だと思うんですよ、私は。

それこそインドにだって仏教もあればイスラム教もあり、ゾロアスター教だってあるわけで。

民間信仰を加えればさらに細分化していくことでしょう。

結局、何を規範、原典とした神秘であり、魔術なのか、そこが曖昧なままただ超常的な力を発揮されてもですね、説得力に欠けるんですよね。

早い話がXメンと何が違うんだ?という穿った見方もたやすく成立してしまう。

しかもそこに時間とか別次元とか持ち出されてしまうとですね、もうついていけないわけです。

だって時間ってのは究極だから。

時間を操る、ってのは最後に残された最強の手札なわけですよ。

それだけで全部話が終わってしまう。

敵も味方も宇宙もクソもないわけです。

不始末しでかしたら巻き戻しすればいいだけなんだから。

そこはルール作りですよね。

どういう神秘主義的な考え方をベースとして魔術を生じさせているのか、なにができてなにができないのか、最後まで明確じゃないからどうしたってつっこみどころだらけに。

インドで修行してる割にはアストラル体などという神智学系の単語が飛び出したりしてますし。

21世紀なりの魔術に対する解釈、理論体系を明文化できてないことが手落ちでしょうね。

辛辣に言うならどこか子供だまし。

ま、ミスキャストなんじゃあ・・と思ってたカンバーバッチが意外と役にはまっていたことや、エンディングにおけるラスボスとのとんちのようなやりとりは笑わせたいのか、と愉快でしたが、60年代のキャラを蘇らせることができていたか?ということに関してはやや疑問。

何も考えずに見る分には問題ないんでしょうけど。

マーベルもシビル・ウォーやアベンジャーズで凄い完成度の作品送り出してきてますしね、見る側のハードルがあがっちゃってるのかもしれませんが、今作に限ってはややトーンダウン、それが正直なところでしょうか。

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