イスラエル/ドイツ/ポーランド/フランス/ベルギー/ルクセンブルグ 2013
監督 アリ・フォルマン
原作 スタニスワフ・レム

かなりぶっとんだ一作。
もはやシュール、とさえ言っていいかもしれない。
・・・・ああ、実験映画です、これ、特に意味なんてないから考え込んだところで時間の無駄、うん、と片付けてしまえれば楽なんですけど、残念ながら中途半端にストーリーがあったりするものだから始末におえない。
とりあえず前半は、女優であるロビン・ライトが実名で登場して、あなたをCGで再構成して映画に登場させるからその肖像権を売れ、と迫られるメタな展開で、これはなかなか面白かったんですね。
実名でロビンのことをクソミソにけなすマネージャー役のハーベイ・カイテルとのやりとりは、いったいこの物語はどこへ向かおうとしているのか?ここまでやっちゃって大丈夫なのか?と先の展開を期待させるのに充分なものだった、と言えると思います。
もはや映画業界は生身の人間を必要としない、という設定も、いかにもありそうでうまかった、と思う。
問題は中盤からのアニメ。
突然実写が謎のアニメに切り替わっちゃうんですね。
何故アニメじゃなきゃダメなんだ、という疑問もさることながら、私が最も気になったのはやたら古臭いタッチのアニメの出来。
もう70年代のディズニーなんですよ、動きといい、センスといい。
アニメ大国日本で恒常的にアニメに触れている身としてはこれはいただけない。
あえてレトロな感じにしたのかもしれません。
でもなぜ、あえてレトロな感じにしたのかその意図が見えてこないと、そりゃただひどく退屈なだけで。
強烈にそがれていく集中力。
何度も早送りしそうになる自分を戒める苦痛の時間。
アニメを実写に挿入すること自体は別にかまわないと思うんです。
キル・ビルみたいな例もあることですし。
でもそれが観客をしらけさせることになりかねないのでは・・・?という危惧がこの作品には皆無なんですね。
完全に観客を突き放しにかかってるのは恣意的なものなのか、それとも無自覚ゆえの産物か。
そもそもアニメだからこそ現実から遊離した妄想の世界を自由に描けるんだ、と監督が思っていたのだとしたらそりゃ大きな間違いで。
むしろアニメだからこそリアリズムに気を配らないとすべてが絵空事になっちゃうよ、というのをアリ・フォルマンはわかっているのやら、わかっていないのやら。
これは結局、SFに不慣れ、ということなのかもしれませんが。
ナンセンスでシュールであることと、ドラッギーであること、それらをSFで束ねようとしてしくじってるのが現状だ、と私は思いましたね。
だから落とし所が陳腐になる。
なんでそこがオチになるのか、たったそれだけの事を描くためにここまで大仕掛けが必要なのかと、あたしゃひたすら脱力。
当初は映画の未来を、そこで生きる女優のあり方を描こうとしていたはずなんです。
それがいつのまにか娯楽そのものの話になって、さらに仮想現実へと駒を進めたはいいが、その先を想像出来てないんですね、結局。
例えば同じ仮想現実を扱った大作マトリックスでは主人公ネオはチューブでつながれていたベッドで現実世界に目覚めるわけですが、本作の場合、そのベッドの存在を描くことをすっかり忘れちゃってる。
どうせ仮想現実を描くなら映画じゃなくてなぜSNSを切り口にしないんだ、とも思った。
題材の発展のさせ方を間違ってるし、アニメにこだわる必要もない、しいてはSFを装う理由もない、と言うのが正直な感想。
誰かこの雑然ととっちらかったあれこれをもう少し整理してくれないか、と思い続けた120分、原作を書いた大作家スタニスワフ・レムが怒ってないことを祈る。