うしろの百太郎

1973年初出 つのだじろう
講談社マガジンKC 全8巻

70年代オカルトブームの火付け役になった作品のひとつ、と言われてますが、なんせ子供だったもので、はて?そのようなブームがあったかしら、ってな有様ではあります。

今あらためてじっくり読んでみると、やっぱりつのだじろうってのはどうもこう、ややこしい漫画家だなあ、と、思ったりはしましたね。

この人のオカルト漫画にはね、私はなんだか妙な違和感を感じることが多いんです。

それは他の著作でも同じ。

楳図かずおは間違いなく日本のホラー漫画の第一人者だと思うんですが、つのだじろうの場合、ネームバリューの割にはホラーと呼んでしまうには微妙にブレがあるというか。

もちろんホラーの体裁はきちんと整っているんですが、怖がらせようとする意図よりも、不可解な事象を読み解こうとする意識の方がどこか強い気がしますね。

ホラーの質にこだわるよりも、みんながホラーだととらえている出来事というのは実はこういうことが理由となっているのだ、と啓蒙しようとする作為みたいなものが強く働いているように思えます。

言うなればこれは根拠のない確信に満ちた「うんちく漫画」ともとらえることも可能で、ある種の「絵解き」という解釈も充分成り立つのでは、と首を傾げてみたり。

 実はナニワ金融道とかドラゴン桜とか、あのあたりと非常に近い気がします。

つのだじろうの場合は肝心の「うんちく」に裏づけがないだけで。

超常現象的なものに何らかの答えが求められていた時代背景もそこにはあったのかもしれませんが、それにしてもこれ、一歩間違えれば即、宗教になっちゃうのでは、という気もしないではありません。

ただ独自研究にせよ既成の概念からの転用にせよ、霊的世界をわかりやすくひも解き、こういう仕組みなのだと言い切ったその立ち位置は、それまでの曖昧模糊としたオカルトな事象の解釈に一石を投じたことだけは確かだと思います。

これがもしファンタジーだとするなら、その世界観の構築に一切の隙なし、といったところでしょうか。

背後霊と言う概念を具象化した百太郎の存在もオカルトアクションの視点で量るなら、画期的であったことは間違いないですし。

ファンには怒られそうですが、これ、ジョジョにおけるスタンドとほぼ同じだと私は思うんです。

もちろん作者にそんな意図はなかっただろうと思うんですが、主人公の背後に主人公を守る召還獣みたいなのが居る、っていう設定、こりゃやっぱり読んでて少年読者は胸躍ると思うんですね。

巧みな設定と、見知らぬ世界を知る興奮、ヒットも納得の構造を実は有していたりするんですよね、この漫画。

上述したように、色々とややこしい側面があり、それが時代を超えられぬ古さを感じさせる原因か、と考えたりもするんですが、物語としてはよく出来ていることを認めざるを得ない。

大好きな漫画、というわけではないんですが、捨て置けぬなにかがあるのは否定できない、といったところでしょうか。

コメント

  1. […] 妻の霊が祟るものではなく、うしろの百太郎のように夫を幽界から助ける存在として描かれているのも良く出来てる。 […]

  2. […] うしろの百太郎を想像してもらえればわかりやすいかと思います。 […]

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