1972年初出 永井豪
竹書房文庫 全2巻
最初は、なんだこりゃとりいかずよしの「トイレット博士 」か!?とあまりの汚さに驚愕したんですが、不潔で飯時に読めないのが共通しているだけで、描こうとしている事はまるで違うことに途中で気づく。
解説で筒井さんも言及しているんですが、徹底した自己差別の末の全肯定が確かにこりゃ思想と言えるかもしれません。
そこがジャンプイズムを後に作り上げたトイレット博士とは違う点。
ある種天才バカボンにも通底するか、と思ったり。
しかしまあ、主人公のオモライくん、乞食なのに学校へ行く、というのもよくわからない凄い設定なんですが、教室の隅にゴザをひいて授業を受ける、という絵ズラもこれまた凄い。
おなじみ学園ドタバタギャグながらどこか感触が違う。
なんといいますか、ドブ泥の中での悟りみたいなものがあるというか。
私が衝撃を受けたのは最終回。
下水道での水泳を楽しんだ後、主人公オモライくんは自らの悲運な出自を知ったにもかかわらず、ある言葉をコジじいに告げるんですね。
いや、どう考えてもそこはそのセリフじゃないだろう、と。
なんだこれ、なんでこんな吐き気を催しそうになる薄汚い漫画で私は胸が熱くなってるんだろう、と自分の感情をもてあまし、ドギマギしました。
ああ、そういう生き方もあるのだ、と。
それが是か否かは別にして、これも価値観、哲学のひとつなのだ、と目を見開かされた気はしましたね。
デビルマン以降の永井豪には存在しない、この時代だけの傑作。
永井ギャグの金字塔と呼んで差し支えないかもしれません。