英雄の証明

2021 イラン/フランス
監督、脚本 アスガー・ファルハディ

拾った金貨を着服せずに持ち主へ返したことがネットで評判になり、一夜にして「正直者の善人」として有名人になった主人公の、思わぬ運命の変転を描いた人間ドラマ。

主人公ラヒム、実は刑務所に収監されている囚人でして。

借りた金を返さなかったから捕まったらしいんですが(借金で捕まるって・・イラン怖っ)「犯罪者なのに高潔で立派な人間だ」とそのギャップゆえ余計に世間から称賛されたという経緯がそこにはあって。

まあ、大衆ってのはわかりやすい正義とかいい話が大好きですから。

そのあたりはイランも日本と変わらないみたいで。

結果、民意の後押しで、良い方向にラヒムの人生が転がりだすんですが、持ち上げたものは引き摺り下ろさないと気がすまないのがマスメディアで。

変な暴露映像が出回って、実は詐欺師なんでは・・・と疑われだしてしまう。

なんだかんだあって思ってたのと違う感じになって本人ひたすら迷走・・・ってのが物語の大筋なんですが、私が最後まで見て思ったのは、この人はネットが全然わかってない、でしたね。

情報過多なデジタル社会を風刺してるとか、大衆心理に翻弄される怖さを巧みに描写とか、あれこれ称賛されてますけど、そっちに焦点あたってたか?と私は少し疑問。

要は「思わぬ流出が炎上を招いたが、消化の仕方がよくわからなくてオロオロしてたらさらに状況が酷くなってしまった」だけだと思うんですよね、これって。

だいたいね、善行が広く知れ渡って取材が殺到したからといって、ヒーロー気分でインタビューに答えたり、援助団体の支援を受けたりしてる時点で、ああこいつは子供もいるいい大人なのに調子にのりすぎだ、と私は思った。

10代や20代の子が有名になって、つい調子にのっちゃうのはわかる。

けどラヒムぐらいの大人なら「こんなの一過性のもので、すぐ飽きられる」ぐらいの達観があってしかるべき。

一度は金貨を着服しようと思ったくせに、なんで別人に生まれ変わったような気になってんの、と。

結局、新しいことにあんまり興味がなくて知恵がまわらない男なんですよね(世間知がないと言ってもいい)、ラヒムって。

なので物語は自爆投稿する「醤油差しペロペロ男」や「おでんツンツン男」と似た様相を呈して、ただただラヒムが追い込まれていく姿を追うだけの有様となっていく。

私はこの状況が、道徳観とかモラルで推し量る以前に、知名度で成り上がることの危険さを理解してないだけなようにしか思えなかった。

主人公が借金背負ってどうにもならないのはわかるんですよ、でもね、それをでっちあげみたいな美談でなんとかしようとするのはいじましいし、見通しが甘すぎやしないか?と。

最期まで私は主人公に共感できなかったですね。

こんな風に、中途半端に善人なぐらいなら、子供のために手を汚す覚悟を決めた悪人のほうがよっぽどマシじゃねえのか?と。

吃音症の息子を一番追い込んでるのは父親であるお前だぞ!とムカムカして仕方なかったですね。

うーん、私の見立てがおかしいのかもしれないけど、今回に限ってはアスガー・ファルハディ監督、何がやりたかったのかよく分からなかった。

イランにどういう形でネット(SNS)が波及してるか、赤裸々に描写したかったんですかね?

主人公のありようが一般的なイランの男性の反応なのだとしたら、あまりに知らなさすぎる、としか言いようがないですね。

なんだかセールスマン(2016)を頂点として、以降響かない作品(私だけ?)が続いているような・・。

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