誰もがそれを知っている

スペイン/フランス/イタリア 2018
監督、脚本 アスガー・ファルハディ

誰もがそれを知っている

妹の結婚式の最中に起こった誘拐事件を描くサスペンス。

誘拐されたのは姉ラウラの娘、イレーネ。

パーティーの最中に忽然と姿を消すんですね。

その後はお決まりのパターン。

脅迫メールが届いて右往左往、警察に知らせるべきだー、いや駄目だー。

事件はラウラの過去、親族の古びた怨恨をも掘り返して、膠着したままじりじりと、進展の気配すら見せぬまま終盤まで引致。

おそらく監督は誘拐事件そのものよりも、事件をきっかけとして封印されてきた家族の確執を白日のもとにさらけ出したかったんでしょうね。

しいてはそれがタイトルにもかかってくる。

このあたりはファルハディお得意の手口。

なので厳密にはサスペンスというより、重めの家族ドラマと言ったほうが座りがいいかもしれません。

後から振り返るなら、ああ、あれはそういう意味だったのか、と納得できるシーンが序盤から散りばめられてるのは流石の一言。

なにが犯人を少女誘拐に至らしめたのか、動機となりうる共通認識(噂?)を知ったあとでもう一度最初から映画を見たら、唸らされる演出がたくさんあるだろうことはあえて検証するまでもありません。

実に緻密なシナリオ、構成だと思いますね。

ただ惜しむらくは、錯綜する人間関係をあからさまにすることに焦点を合わせたせいで、ミステリ的な醍醐味が軽減されてしまったこと。

やっぱりね、様式はサスペンスなんだから「お前だったのか!犯人は!」って膝を打ちたいですよね。

そのあたり、割とさらっと流しちゃってるんです。

はい、この人犯人ですよ、さて、それでお話の続きですけどね~、みたいな。

犯人がしょっぴかれるシーンもない。

カタルシスを得にくい作りになってるんですよね。

田舎ならではの、人同士の距離感の近さ、いやらしさは見事に浮き彫りとなってますし、最大の隠し事が全然そうじゃなかった展開には唸らされるんですが、欲を言うならこれを犯人探しのスリルと同居させてほしかったと思いますね。

できると思うんですよ、セールスマン(2016)で同じことやってるんだから。

初めてのオールスペインロケということで、イラン当局の重圧から逃れたファルハディ、これまでとは少し勝手の違う部分があったか。

面白かったんですけどね、まだまだこんなものじゃないだろう?という気はしますね。

次作に期待。

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