ワタリ

1965年初出 白土三平
講談社マガジンKC 全7巻

伊賀にも甲賀にも属さぬ第三の忍者、ワタリの暗躍を描いた戦国忍者活劇。

・・・そういえば白土三平の長編でワタリだけ読んでなかったな、となにげに手にとったシリーズですが、好き嫌いは別にして、昔の漫画を読むことが発見につながることって本当に多い、と改めて思った次第。

実は有名な話で私が知らなかっただけかもしれませんけど、これ、相原コージの傑作、ムジナ(1993~)の元ネタじゃん!と読んでて震撼しました。

もちろん細部は違うし、大きくは忍者漫画のパロディという形で成立していたのがムジナですけど、忍者組織内部の被支配者による反逆というテーマも、オチもほぼ同じでして。

初読から20年以上を経過して知ることになるとは・・とびっくり。

ムジナがすごかったのはそこに「虐げられようとも決して手折れぬ強い愛」を持ち込んだことですけど、それに関してはまた別ページにて。

で、本作なんですが、組織内部の不満やトップに対する疑心暗鬼を外部の人間がかき回す、という設定自体はなかなかおもしろかった、と思うんです。

「掟の謎」を巡るミステリアスな進行も悪くない。

ただね、さすがに60年代の漫画、ということもあってか、恐ろしく話が進まないのが玉に瑕でして。

首領の秘密を暴くだけのために、ほぼ3巻費やしてますから。

しかもやっと秘密を暴いたか、と思いきや、4巻から再び似たような「0の忍者」とかいう首領モドキがあらわれて、同じような作劇を繰り返す始末。

これはさすがに今の感覚で読むと冗長だし、退屈。

あと、なぜワタリが他所の忍者組織である伊賀に、そうまでして肩入れするのか、はっきりしないのも難点。

ワタリはワタリで別の忍者集団に属してるわけだから、そこまで深入りするからにはなんらかの利益誘導があってしかるべき、だと思うんです。

それがどうにも見当たらない。

私が「ようやくワタリ自身の身の振り方を問うてきたな・・」と思ったのは6巻からの展開。

戦国時代に生きる第三の忍者集団が、歴史に翻弄されはじめます。

ラストが「えっ、打ち切り?!」と勘ぐりたくなるような余韻を残さぬものでちょっと驚いたんですが、多分、これ以上続けても忍者武芸帳(1959~)と同じになる、と作者本人が思ったんじゃないですかね。

自由を渇望するも、自由に生きられぬ苦しみ、悲哀を誌面に叩きつける白土イズムは本作でも健在ですが、少年漫画でできることの限界を悟った一作なのでは、という気もしました。

もう少し全体の構成を圧縮してくれてたら、のちの白土青年マンガへの橋渡しとなった一作、として評価も違ったかもしれませんね。

決して悪くはないと思うんですが、どうしても大ヒット作サスケ(1961~)の影に隠れてしまってる、ってのはあるかもしれません。

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