アメリカ 1985
監督 ウォルフガング・ペーターゼン
原作 バリー・ロングイヤー
遠い未来の宇宙時代を舞台に、異星人と人類の心の交流を描いた異色のSF大作。
舞台設定そのものはありがちなスペースオペラだ、といわれればその通りなんですが、この作品が独特だったのは、人類と異星人が銀河を割る大戦争を繰り広げてる最中、無人の未開発な惑星に不時着した主人公と敵異星人の1対1な生き残りを賭けたサバイバルを描いた点でしょうね。
もちろん戦争中ですから、主人公と異星人、最初は敵対するわけです。
でもその惑星には彼ら二人以外、誰も存在しない。
環境も決して良好とは言えない中、いつ来るかわからぬ救援を待つ上で、2人は協力し合うことを余儀なくされていくんですね。
もちろん言葉も通じなければ文化も違うし、なにより外観も含めた生態そのものが違うわけですから、気持ちを通い合わせることは至難の技。
しかし、日を重ねるうちに徐々に2人は打ち解けていく。
もうね、肌の色が違うとか、宗教が違うとかで何百年ももめてる連中にこの映画を見せてやりたい、と私はつくづく思った。
相手、どう見たってトカゲの化け物なんですよ。
しかも雌雄同体ときた。
状況が特異すぎる、というのはもちろんあるんですが、それでも銃を突きつけあう前に、お互いの生き方なり、道義なりを認め合って、譲れるべきところは譲り合うことを模索してみてみてもいいんじゃないか?とした至極真っ当な訴えかけは、正論すぎることを承知した上でやたら私の心に響きましたね。
さらにこの作品がとんでもないのは後半の展開。
異星人、雌雄同体であるがゆえに子供産んじゃうんです。
その子供を1人で育てなきゃならない羽目に陥る主人公。
よくぞまあ、原作者はこんな奇抜な発想が思い浮かんだものだな、とつくづく感嘆。
托卵で知られたカッコウもマジか、ってな話だ。
しかしこれが予想外の劇的なドラマを編み上げていくんです。
地球人とか異星人とか関係ないところで、物語は、ただそこにある生を尊ぶ高潔さを観客に見せつけ、いつのまにか妖怪人間みたいな異星人の子供を愛らしい存在と錯覚させるにまでその様相を変転させていく。
涙腺直撃です。
なんで?って自分でも思うぐらい鼻の奥がツーン、と熱くなってくる。
主人公は独白します。
確かにブサイクといえばブサイクな子供だが、おれの友達のガキだって似たようなもんだ、と。
時代が時代ですんでSFXはテレビゲーム並みのチープさで、失笑してしまう場面もないわけではないんですが、そんなこともう全然関係ない、といい切れてしまうほどに想像性とドラマの両輪が見事噛み合い、最後まで脱輪することなく走り抜けた傑作SFだと断言する次第。
キャメロンが「アバター」でやったことの先鞭ともいえる作品ではないでしょうか。
監督の確かな演出力と題材の独自性が光る必見の一作だと思います。