1974年初出 楳図かずお
小学館文庫 全4巻
大女優の娘として産まれた少女さくらを襲う、驚愕の恐怖体験を描いたサイコスリラー。
で、その恐怖体験とは一体なにか?という話なんですが、ネタバレに敏感な人はこの先読まない方がよいです。
私はこの程度のネタバレなんてネタバレのうちに入らない、と思ってるんで書き進めますが、早い話が「さくらの肉体をオカンが乗っ取ろうとする」んですね。
どうやって?
なんと脳移植。
自らの老いによる美貌の陰りを認められない母親が、もう一度若い肉体を得て青春を謳歌しようと目論むわけですな。
なんとこのおばさん、さくらを目の前にして「そのためにあなたを産んだのよ」とまで言い切る始末。
ここまでの流れは美醜にまつわる執着を描かせれば国内随一といっていい楳図かずおの独壇場。
いやもう、マジで怖いし狂気が踊ってます。
ある日突然、母親に「今日からあなたはあたしになるのよ」などと真顔で告白される娘の気持ちになってみろ、って話で。
遠慮呵責なく描写される外科手術に至るまでのシークエンスは、泣き叫ぶさくらを救うものもないまま残酷にクソ丁寧でまさに阿鼻叫喚の地獄絵図。
さくらが可哀想過ぎて目も当てられない。
ただね、21世紀を迎えた現在「脳移植なんてたとえ肉親と言えど成功するはずがない」ってみんな知ってるわけで。
そこで「ありえねえ」とばかり、中途半端に冷めてしまうと2巻以降の展開にはさっぱり集中できなくなります。
正直、私は作者の仕掛けたこの「罠」にはまった。
で、罠にはまったままだと最後に待ち受ける衝撃のどんでん返しすら「やっぱりな・・・」で終わっちゃうんですよね。
仕掛けが甘いよ、などとつい嘯いてしまいそうになるんですが、よくよく考えてみたら「罠」そのものが実はそれほど重要ではないことにあとからふと気づいたりする。
さてこの作品のテーマとはなにか?と考えたとき、最も肝心で時代を先取っていたといえるのは「脳の可変性」についての考察だった、と思うんです。
これ、90年代を迎えるまで誰もつっこんで漫画創作の糧にしてないと思います。
深く踏み込んでる漫画家は皆無だったんじゃないでしょうか。
つまりは「脳の入れ替え」というギミック自体が、物語の帰結を導くための方便だった、という解釈もできるように思うんですね。
別にそれを読者が真剣に信じ込む必要はない。
オチから可逆的に考えるなら、さくらがそれをどこまで真剣に捉えていたのか?が大事なのであって。
そしてそれこそが物語のタイトル「洗礼」にもかかってくる。
どんでん返し系のスリラーとして名高い一作ですが、本質は心理サスペンスにも近いメンタリティの不可解さを描いた一作だと思いますね。
それでいて、いびつさがきちんと恐怖に昇華している点が凄いとしか言いようがない。
しかしこんな作品を週刊少女コミックで読まされた当時の少女読者はたまったものじゃないな、と思いますね。
軽くトラウマものだよ。
解説で呉智英氏も書いてましたが、台詞回しも秀逸。
少女誌で愛が薄汚いとか、なんてことを登場人物に言わせるんだ、と思う。
大人の読者が読んでこそいろんな発見もある大作。
一読の価値ありじゃないでしょうか。