ドライブ・マイ・カー

2021 日本
監督 濱口竜介
原作 村上春樹

演出家と脚本家夫婦の間に潜む愛情と亀裂を、地方の演劇祭を通じてあからさまにしていくシリアスな人間ドラマ。

いやー上映時間179分ですよ、あなた。

約3時間も取っ組み合わなきゃならんのか・・と思っただけで心が折れそうになったりもしますが、商業性に配慮して編集で切り刻むことを拒否した、ってことなんでしょうし、きっとなにかがあるんだろうと。

そこはもう、覚悟を決めるしかない。

なんせカンヌ脚本賞でアカデミー国際長編映画賞受賞だ。

これでつまらなかったら放火してやるからな・・・(どこに?)と物騒なことを考えながら再生ボタンを押したわけですが、えー結論から書くと、思ってた以上に退屈しなかったし、3時間があっという間でしたね。

これは自分でも少し不思議だったんですが、決して絵的に派手なわけでもジェットコースターな展開が待ち受けてるわけでもないのに、ずっと見れてしまう、ってのがあって。

どっちかというと非常に淡々とした作りで、大きな起伏に乏しい進行だったりするんですが、変に張り詰めた空気がドラマ全体を支配してる節があって。

なんかね、要所要所でね、突然抜き身の白刃をギラつかせるようなセリフが、ぽろりとこぼれおちてきたりするんですよね。

ちょっと待て、今、さり気ない風を装って、あんた、なんて言った?!みたいな。

ここで言うようなこと?それ?と見てる側が焦ってしまうような。

要は不意打ちなんですよね。

それを不意打ちがうまいというべきなのか、高い計画性と呼ぶべきなのか、ちょっとわからないんですけど、必然、ストーリーを追っていて、どこか身構えたままの状況が続いてしまう。

またなにかとんでもないこと言い出すんじゃないか・・・と注視してしまうというか。

これが監督のテクニックなんだとしたら大したものだと思いますね。

普通に撮ってたら、間違いなく冗長になるはずなんですよ。

最後まで見て、全体を把握したからこそこれは断言できる。

だってね、極端な話、演出家の苦悩とか、その夫婦関係の内奥とか、知ったこっちゃない、ってのが多くの視聴者の本音だと思うんです。

家福の妻が迎えた顛末に全部かき消されそうになりがち、ではあるんですけどね。

やっぱりそもそもの題材がニッチだし、この手の多くの楽屋落ちというか内輪な話って、プロの共感こそ得られども、人生をタイムカードに支配されてる一労働者の共感を得られるようなネタじゃないと思うんで。

表現の裏側なんざ熱心なファンが興味を持つ分にこそニーズが発生するんであって、そこに万般の普遍性なんざ存在してないですから。

特種な職業にある人が、特種な事情で悩んでらっしゃるのを興味深さで受け止めるには、それが真実であるという暴露話的な下世話さが必要となってくる。

そのあたりの難しさをね、監督は上手にクリアしてるな、とは思いましたね。

ぶっちゃけ寝物語にシナリオ作る妻とかね、人ン家の奇態な秘め事とかどうでもいいし、主人公家福の演出法とか、実演されてるわけでもないのに理解してどうする、と私は思ってたんですけど、それをつまらなく感じさせないように引っ張っていくアクセントの設け方がうまいんですよね。

しいてはそれが、最終的には「そこに触れることですべてを壊してしまうことを恐れる男の弱さ」に集約する形となる。

ここで初めて視聴者は納得するわけです。

ああ、これは俺にだって、思い当たる部分はある、と。

前フリが長いわ!と言われればそうなのかもしれないですけど、表現者の苦悩というか、演出家の業みたいなものを、本当はあなた自身の問題に過ぎなかったんだよ、と説き伏せる結末はおかしな衒いや、気どりがなくて、素直に「ああ、わかるわ」と言えるもので良い、と思いましたね。

あと、独特だったのが没感情気味な役者の演技。

いつのまに西島秀俊はこんなに下手クソになったんだ?と最初はいぶかしんだりもしたんですが、どうもこれ、わざとやってるっぽい。

チェーホフの劇中劇と現実をシンクロさせようとする試みだったのかもしれませんが、この作品のようにセリフが多いドラマだと、なんか戯曲を映像化したようなしらじらしさがどうしたってつきまとってくる。

特に終盤の、崩れ落ちた家屋を前にした家福とみさきのシーンなんて、周りに観客でもいるのかよ、と私は思った。

どこか客席の反応を伺ってるようにも感じられて。

淀みなく、饒舌すぎるんですよね。

やりたかったことはわかるんですけどね、曖昧さを脱ぎ捨てて作中の現実へピントを合わすのも手段だったのでは、という気が少ししたり。

すごく大事な場面だったと思うんですけど、あえて虚構性にこだわったがゆえに、感情移入しにくくなってるんです。

中盤で、手話を通じて会話する韓国人夫婦が登場するんですけどね、その二人と家福との交流が、差別そのものにも言及しようかとする勢いで生々しくリアルだったんで、多分やろうと思えば熱量あげることも簡単にできたはずなんです。

なぜ肝心なクライマックスでこうなる?と小首を傾げたり。

意図してズレを演出したかったのかなあ、わからん。

ま、正直なところ、好きな映画かどうかと問われれば、微妙だったりはするんですけど、実に見応えがあった、というのは嘘偽りのない感想。

高く評価されるのも納得ですね。

ちなみにラストシーン、なんだかよくわかりません。

想像することはできるけど、あまりに経過をすっ飛ばしすぎ。

それも含めてdrive my carってことなんでしょうか。

drive my car、ブルースの古い隠語ですしね。

余談ですがこの映画のトーンに三浦透子はすごくあってるな、と思いました。

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