アメリカ 2017
監督 キャスリン・ビグロー
脚本 マーク・ボール
1967年に起こった、米国史上最悪と呼ばれるデトロイト暴動を映画化した実話もの。
物語の主筋となっているのは、後に長い裁判へと発展したアルジェ・モーテル事件。
暴動3日目の夜、ふざけてモーテルの上階からモデルガンを発砲した男を拿捕するため、押し寄せた警官隊と宿泊客とのやりとりが描かれてるんですが、いやもうこれ、中途半端なスラッシャームービーなんざ裸足で逃げ出すほどの残酷さ、痛ましさで「マジなのか?」と目を疑うこと、うけあい。
滅茶苦茶じゃねえかよ・・・と、肺から空気が漏れましたね、私は。
とても法治国家の所業とは思えない。
まず私が「頭おかしい」と思ったのは、警官が「イタズラである可能性」をハナから排除して、ありもしない拳銃をなにがなんでも発見しよう、としていたこと。
犯人を見つけるために、宿泊客全員を壁に向かって立たせて、順番に自白を強要するんですね。
もちろん口だけじゃなくて手も出ます。
尋問の域を超えて拷問に近い行為といっていい。
その背景には、黒人蔑視を疑問に思わない白人警官のレイシストぶりが隠されているんですけど、それ以前に、こんなやつが簡単に警官になれてしまうアメリカ社会の歪みが存在してるわけで。
しかも、それを諌めるべき州兵も、惨状を目の当たりにして「関わりたくない」と現場を離れる始末。
道義どころか正義も人情もあったものじゃありません。
もちろん「ありもしない事件」をでっちあげることはできず、事態はどんどんエスカレート。
監督がすごかったのは、アルジェ・モーテル事件に渦巻く狂気が、なにをもってもたらされたのか、前半における緻密なドラマ作りでもって、強固かつ周到に描写していたこと。
それが凄まじい緊張感、説得力をもたらす。
後半までの流れから、もうこれ、どうしようもない・・という諦めが見てる側にすら蔓延してくるんですよね。
後味の悪さも一級品です。
これだけのことをしでかしておきながら、現実に白人警官たちはどういう処分を受けたか?胸クソの悪さは尋常じゃない。
そりゃ黒人が犠牲になる事件が後を絶つはずもないわ、とひどく納得してしまいましたね、私は。
こんなの見てしまうと、とてもじゃないが怖くてアメリカの街を歩けないよ、と心底思う。
いや、行く機会ないけどさ。
しかし、政権寄りのプロパガンダ映画を得意とするビグロー監督が、今回に限っては本気で人種差別に真正面から切り込んだ反骨映画を形にしてきたな、と私は少し驚きました。
なんかもう往年のスパイク・リーか、って有様ですし。
というか、スケール、写実感、現実味ともにスパイク・リーを上回ってる。
なぜこの映画が賞レースから脱落してしまったんだろう?と不思議でなりません。
それこそが、現在も変わらぬアメリカ社会の差別意識を浮き彫りにしている、ということなのかもしれませんけど。
ようやく過去の奴隷問題に触れ始めたハリウッドにとって、この映画は痛い腹をつつきすぎたのかもしれません。
142分と長尺の作品ですが、実話ベースの映画としてはトップクラスの出来じゃないでしょうか。
現在進行系のアメリカの病巣を知る上で、必見の一作だと思いますね。
劇中の登場人物、ザ・ドラマチックスのリード・ヴォーカル、ラリー・リードのその後の人生がなんとも不憫でやりきれなかったですね、私は。