アメリカ 1946
監督 ハワード・ホークス
原作 レイモンド・チャンドラー

レイモンド・チャンドラーの処女長編であり、傑作と名高い「大いなる眠り」を映画化した作品。
監督はハリウッド史上、最高の名監督と評されるハワード・ホークス。
主演はトレンチコートに紙巻たばこのスタイルが一世を風靡した往年のトップスター、ハンフリー・ボガート。
もうね、三拍子も四拍子もそろった完璧な布陣の作品なわけです、これ。
私みたいに不勉強な人間でもチャンドラーやボギーは知ってるし、私立探偵フィリップ・マーロウのシリーズは大昔に深夜テレビで見た記憶がある。
いわゆるハードボイルドの古典、と言っていいでしょうね。
マーロウを知らない人でも「男はタフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」というあまりに有名なセリフはご存知なんじゃないでしょうか。
で、そのボギー演じる私立探偵マーロウが富豪の娘の脅迫事件にたずさわり、殺人事件に遭遇、錯綜する事件の謎を追うのが本作なわけですが、えーと、とりあえずですね、登場人物は多いわ、いくつもの事件が絡み合うわで、ぼーっ、と見てたらなにがなにやらさっぱりわかりません。
で、こりゃいかん、と巻き戻して人物関係を整理、メモなんぞもとって内容を把握しようと務めるわけですな。
そしたら今度は謎のまま放置されてる事件がないか?これ?とふいに気づいたりする。
あれ?と混乱。
後から調べてみたら、原作そのものに矛盾が指摘されてて、それ込みで名作と評価されているんだとか。
監督はその矛盾を改変することなく原作に忠実に映画化したよう。
うーん、どうなんだろう、と。
あと、ハンフリー・ボガートを私は初めて映画で見たんですけど、なんといいますか、多くの人がかっこいいと絶賛するその魅力がよくわからなかったんですよね。
松田優作はボガートのことを「あんなの、はちまき締めたら寿司屋の親父じゃねえか」と揶揄したらしいんですが、そっちのほうがなんとなく納得がいったりも。
いやほんとすいません、ファンの方、ごめんなさい。
ハードボイルドとしての文脈というか、台詞回しも込みで、なんだかやっぱり古臭いな、と思えた点もいささか気になった。
なんせもう70年前の映画ですし、今の感覚に照らし合わせる事自体に無理がある、というのは承知してるんですが、いざ終わってみれば、なんだかもやもやした感覚しか残らない有様で。
もうちょっとスッキリまとめられなかったものか?と不遜にも思ったり。
どうも私とはこの作品、相性が悪かったようです。
多くの映画好きな方々があらゆる角度から素晴らしいレビューを書かれてる作品ですんで、そちらを参考にしていただくのが多分正解でしょう。
自分の感覚に懐疑的になってしまった一作でしたね。
いつかまたハワード・ホークスには再チャレンジしたい、と思ってます。
今回はなんだかダメだった。