愛と誠

1973年初出 梶原一騎/ながやす巧
講談社マガジンKC 全16巻

当時、空前の大ブームを巻き起こし、何度も映像化された作品ですが、実は私、今日まで読んだことがなくてですね。

何の根拠もない先入観なんですが、すごく暑苦しそう、と思ってたんですね。

なんせ梶原一騎ですし。

あしたのジョーは言うに及ばす、スポ根を定着させたその偉業は漫画界に燦然たる足跡を残した、とは思うんですが、だからこそその方法論で「純愛」を描く、というのがどうしても私の中でひとつに重ならなくて。

このブログがなければきっとスルーしたままだったことでしょう。

今回、思い切って手にとってみて、まず感じたのは、まかり間違っても2016年にあらためて読むようなものではないということ。

70年代だからこそ多くの読者に希求するものがあったのだ、と実感。

やっぱり物語の図式自体がね、さすがにもう古いんです。

やさぐれた不良少年である誠を無私の愛で更正させようとするヒロイン愛、という設定自体が、時代の風雪にさらされたが故「え、ちょっと前に話題になった、だめんずウォーカーみたいなものでしょ要するに?」で終わっちゃうんですよね。

今、誠のような不良少年は絶滅危惧種ですし、愛のような少女は宗教団体にしか存在しない。

それがすべてだと思います。

愛するということは戦いである、というのには全く同感なんです。

ただそれを本当に額面どおり捉えて、ケンカ上等の番長もの的世界観で描いたことがこの作品の寿命を定めてしまったように思います。

結局「愛とはなにか?」をガチガチにロジックで固めて饒舌に語ってはいるものの、反して「恋愛そのもの」は描いてない点が最大の難点でしょうね。

人を恋する、という心のメカニズムを表情豊かに描けてこその愛だったと思うんですが、そこをすっ飛ばしてひたすら試練の連続。

私はついていけませんでした。

ある種、「愛」をルールとした異種格闘技漫画ともいえると思います。

私の中ではこれ、異色作ですね。

キャラ作りは後にさんざんパロディ化されただけあって、秀逸だと思いましたが、どう再評価するべきなのか、なにも言葉が浮かんでこないのが正直なところでしょうか。

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