カナダ 1996
監督 デヴィッド・クローネンバーグ
原作 J.G.バラード
車で交通事故を起こすことが性的興奮につながるフェチな人々を描いた、性癖がテーマのなんともカルトな一作。
今回あらためてこの作品を見てみて私が驚いたのは原作としてJ.G.バラードがクレジットされていたこと。
J.G.バラード、こんなわけのわからないポルノもどきな小説も書いていたのか、と。
いや、熱心な読者ではないので、こういうのも書くのがバラードなんだよ、と言われればなにも反論はできないのですが。
クローネンバーグがどの程度原作を改変しているのかはわかりませんが、映像を見る限りではのべつまくなしに欲情してる節操のない大人の変態趣味が延々描写されててなんだこれ、って感じです。
メリハリがないんですよね。
もう10分おきぐらいに勝手に興奮して男女かまわず見境なしに、さかってやがるんです。
なんの発情期か、と。
つーか、暇か、と。
もちろん何を描きたかったのか、その意図を想像することは出来ます。
死と隣り合わせのエクスタシーに虜になってしまった、閉塞した現代に生きる人間の内面的病巣をあらわにしたかったんでしょう。
でもそのツールが自動車、って言うのが私には武骨に思えました。
特にわざと車をぶつけて興奮してるシーンなんて、笑いと紙一重ですらあると思います。
単純にその行動がバカっぽく映っちゃうんですよね。
これはカークラッシュなシーンをスリルとエロスで彩ることのできなかった監督の技量の問題、といえるかもしれません。
また、逆に、スリルとエロスなカークラッシュって、どんなだ?という想像の及ばなさも手伝っていることは否定できません。
早い話が映像として難しすぎた、というのはあるんじゃないでしょうか。
それが共感することをひどく難儀なものにしている。
私が唯一、唸らされたのは事故で足が不自由になった女の傷跡や、その不恰好な動作にすら主人公が興奮してしまうシーン。
フェチな世界では不具ですら勲章であり、セックスアピールなのか、とその業の深さに立ちくらみ。
性の前ではすべてがイーブンなのか、と作品とはあまり関係ないことに思いを馳せてしまったりしました。
まー、なんとも困った作品ですね。
監督が表現しようとしたことに映像が届かなかったがゆえ、中途半端なポルノみたいになってしまった、というのが私の総評なんですが、クローネンバーグじゃなかったらそこまで掘り下げて考えてなかったかもしれませんし、こりゃ失敗作だ、というのが実は正しいような気もしなくはありません。
よくわかりませんです、はい。