レバノン/フランス 2017
監督 ジアド・ドゥエイリ
脚本 ジアド・ドゥエイリ、ジョエル・トゥーマ
アパートの修繕工事に端を発する工事業者と住人のトラブルが、やがてメディアをも巻き込んだ裁判沙汰に発展していく様子を描いた法廷ドラマ。
レバノンの映画なんてこれまで私は一本も見たことがないんで、ちょっと構えてた部分もあったんですが、意外にもとっつきやすい内容です。
普通にアメリカ映画でも見てる感覚。
それこそシドニー・ルメットの社会派法廷サスペンスに近い感じ、というか。
タランティーノのもとで映画製作に参加した監督の経験が、いい意味で反映されてるのかもしれませんね。
中東ならではの物珍しさは希薄かもしれませんが、この馴染みやすさは大きな武器だと思います。
アカデミー外国語賞にノミネートされたのも納得。
シナリオも予想以上にしっかりしてます。
序盤の展開で、誰が見ても「住人、頭おかしい」と思わせておきながら、物語が進むにつれ、住人には住人なりの見地、背景があったのだ、と悟らせる作りなんてお見事という他ない。
登場人物の内面の掘り下げ方がやたらうまいんですよね。
だからお国柄こそ違えど、両者の言い分に共感できるし、理解も及ぶ。
なんせレバノンといえば18宗派が存在し、キリスト教とイスラム教がせめぎ合ってる国らしいですし、そこにパレスチナ難民問題とか絡んでくるわけですから、いったいどこから順番に把握していけばいいの?ってなもの。
他国の人間には何がどうなってるのか、非常にわかりにくいですよね。
そこをあえて学ばずともですね、対立の図式、論点が飲み込めてしまう、ってすごいことだなあ、と思うんですよ。
レバノンに特化した事案のように見えて、実はもっとマクロな視点に基づいて物語は描かれてる。
全体を俯瞰する冷静さがあるんですよね。
どちらが正しいとか、決してストーリーは示唆しません。
単に事件の経緯だけにとらわれてはいけない、当人にしかわからない事情もあれば、あなたの知らない過去も歴史にはあるのだ、だから己の正義を振りかざして感情的になるのはもうやめよう、と作品は言外に語りかけます。
終盤で弁護士が「私達は悲劇に慣れすぎてしまった」と語るのが胸に刺さりました。
グローバルに勝負できる作品だと思いますね。
ちなみに唯一残念だったのは、エンディングにおける判決のシーンが蛇足に思えたことですが、まあ、この際目をつむろう。
ひょっとしたら、やれ炎上だ、コンプライアンスだ、と大騒ぎな日本でこそ見られるべき映画かもしれません。