ドイツ 2017
監督、脚本 ファティ・アキン
ネオナチによる爆破テロに偶然巻き込まれ家族を失った女の、たった一人の戦いを描いた復讐劇。
物語は章立てされているんですが、内容的には前半と後半の二部構成、と考えていいと思います。
前半は概ね法廷サスペンス。
偶然にも主人公、犯人が爆弾をしかける場面に出くわしている、というのがストーリーの肝。
警察の面通しであっけなく犯人が捕まるんですね。
ところが主人公の旦那が移民の前科者であったことや、本人が麻薬を自宅に隠し持っていた事実などが悪い方向に作用し、思うように裁判が進まない。
ネオナチの組織的犯行が証拠を残さぬ巧妙さだったせいもあって、到底納得できない判決を裁判所は下す。
そりゃもう主人公納得できません。
「私は顔を見てるのに、なぜ犯人は罰せられないのだ!」ってなもの。
そこから後半の展開は怒涛だった、といっていいでしょう。
何も持たぬか弱い女が、たった一人でどうやって犯人に罪を償わせるのか?決着の手段が見いだせぬままカメラは主人公の無軌道とも思える行動をひたすら追っていきます。
そして迎えたラストシーン、これねー、ちょっと衝撃でしたね。
ああ、そういう選択をしてしまうのか、と。
浮き彫りになったのは法で裁けぬ現代悪の狡猾さと、主人公のあまりに深い絶望。
何か他にやりようがなかったのか・・と、私なんかは虚無感にとらわれたりもしたんですが、じゃああなたはどうすればよかったと思う?と問いかけることこそがおそらく監督の意図でしょうね。
ただね、問題提起するには比較対象の設定が弱すぎる、というのはあると思うんです。
ネオナチという社会問題に抗する主人公一家の社会的無理解が「移民」であるのだとしたら、もっと徹底してドイツにおける移民の不遇を前半で描かなきゃいけない。
ドイツで暮らす人々にとっては説明するまでもないことなのかもしれませんけどね、他国の人間からしたら移民であることの不自由さはこの映画からあまり伝わってこない。
テーマの輪郭がいささか薄らぼんやりとしてる、ってのは否定できないように思うんです。
これね、いっそのこと被害者一家をドイツ語の通じないアジア人にでもすればよかったのに、と私なんかは思いますね。
ネオナチに対するカウンターとして機能させたいなら、それぐらいの大胆さがないと訴えたいこともはっきりと像を結ばないように思います。
「シンプルなリベンジもの」と評する人をちょくちょく見かける原因はそこでしょうね。
主演のダイアン・クルーガーは迫真の演技で素晴らしかったんですけどね、どういう角度から掘り下げていくのか、見極めが甘かった、といったところでしょうか。
物語の着地点が強烈だっただけに惜しい、の一言ですね。