アメリカ 2017
監督 ドゥニ・ヴィルヌーヴ
原案 ハンプトン・ファンチャー
ブレードランナーの続編として、捜査官デッカードと女レプリカントの行く末に焦点を当て、別の角度から話を膨らませていったのは正解だったと思うんです。
えてしてこういう有名作の続編となると、同じパターンの作劇を舞台設定、配役を変えて焼き直すケースが多いですから。
実際、見てて前作へのリスペクトが感じられましたし、レプリカントと人間の織りなす世界への洞察も申し分なかったですしね。
取り沙汰された映像美も目を奪うものがありました。
タルコフスキー、なんて言われてるみたいですが、私はどちらかというとキューブリックを思い出したりした。
近未来を演出するために古めかしさを対比させる手口が似てると思いましたし、それが「張り詰めた静謐」とでも言うべき緊張感をカットひとつひとつにもたらしてるように思った。
ヴィルヌーブのこれまでの作品の中じゃあ、一番映像にこだわってるように感じましたね。
前作にも劣らぬばかりか、凌駕しかねん出来だ!と認めるのに決してやぶさかではない。
ただね、じゃあ万人におすすめか、というとこれが悩ましいところでして。
やっぱりね、よく出来ているとはいえ163分は長いですよ、さすがに。
まず、物語そのものが起伏に乏しい、というのがありまして。
それでいてテンポがあまりよくない。
もちろんこれは意識的にじっくり撮ったんでしょうし、派手にドンパチよりドラマに重きをおいた結果だ、というのはよくわかるんです。
でも多くのSF映画ファンは、SF映画に「染み入るような叙情性、寂寥感」をあまり求めてないように思うんですよ。
それが心地よい、と感じるのは相当コアなSFマニアぐらいだろうなあ、と私は思ってて。
そうでなきゃタルコフスキーはもっと売れまくってるはずで。
あと、構成がやや冗長なんですね。
テーマとなるべきは「レプリカントの生殖」であって、それが新たなる種となりうるのかを考察した「生命の定義」でなければならないはずなんです。
けれど、監督はそこを駆動輪としたSFサスペンスに物語の舵をきってしまった。
で、最大の問題は両方を同時に描こうとして、落とし所をサスペンスにしちゃったことなんです。
横に膨らみすぎなんですよね、ストーリーライティングが。
だからどうしても途中でお腹いっぱいになっちゃう。
しいてはそれが眠気を誘う。
もしこれをサスペンスであることに主眼を置いてスリム化していれば、主人公Kが何者であるのかは終盤できっと明かされていたに違いないでしょうし、その余韻を引きずったままさらなるどんでん返しが観客を襲う二段落ちになっていたのは確かで。
その選択をせず、前半で早々にミスリードを決め込んだ点がスリルを希薄にしていたことは間違いない。
いや、好きなんですよ、個人的にはこの映画。
だけどどうしたってマニアック。
カタルシスを得にくい、というのは否定できない気がします。
枝葉末節に心奪われればその人にとっては名作となりうる一作でしょうが、全体の流れを重視するなら退屈ともいわれかねない、そんな作品だと思います。
うーん、せめて2時間以内にブラッシュアップしてくれてたらなあ、なんてちょっと思ったりもしましたね。
そしたら大絶賛の末、見ないと損、ぐらいのことは言い切ってたかもしれませんね。